また
昔の物語
ふと、
30になってすぐぐらいに
10上の坂田さんが亡くなった時の
写真が出てきた。
ここにあったのか…。
2000円札といっしょに。
みきと初めての…
いや違うな
妹の長男の初めてのいとこが
みきで、
一緒に撮った写真があった。
何処で撮ったのかなー。
見ていくと、
友達の子どもの誕生のときのカード
今年20歳だ。
それから
サンタに向けた手紙が
何通か。
泣くよねー。
まさか
こんな気持で読み返すとは。
まさかねー。
今ならなんでも言うこと聞くよって
気になる。
子育ては一瞬。
その時はとても長いトンネルなのに。
いつまでコレが続くのさと
思いながら、ひとつづつクリア卒業していく。
動けないで寝てる時、
私は離乳食すら作ったことがない。
母であるより女だった。
そういうことが延々続いて
子どもが亡くなってから
母だったことに気がつく。
大馬鹿です。
人して母として
あなたに何もできず失ったという
最悪のパターンだ。
何のための28年だったかと思うと
結局、私は私の人生を生きて行くしかなくて
この、子どもを失うという経験が
何に役立つのか分からないけど
いないということで
いろんな自由を与えられたと思って
なんでもしていかないと、と考えてるだけ。
何の縛りもなく、
あったとしても全く感じてないけど
やはり何かには囚われていて
その枠組が何なのか
考えつつ
考えながら
動いてる。
会いたくても
話したくても
もう子どもがいなくて
そこに執着したらダメと言い聞かせながら
当たり前の幸せが
当たり前でないことを知った以上
いろんなことに感謝するようになったし
小さなことでは怒れなくなった。
もう悔しさも羨ましさも
子どもも孫も
もう無いから
考えないようにして
人の幸せを喜ぶことに集中する。
望んでもむなしいから。
こんな気持を封じ込めるのは
もしかすると精神的にダメなのかも?
それでもそれが私だから。
考えないようにするのと
気持を塞ぐことは
同じなのかな…。
そんなことも考えたくはなくて、
時間の無駄かなーと。
書いてるけどね笑
時計が逆に回ったらなぁ…。