五月です。

皐月とも言います。

競馬皐月賞、

渡鬼はさつき…どんな字だったんだろ。サツキ…。

さっき、とはよく使う言葉だし。


ともあれ、

中2に親友父が亡くなり

その頃から食道がんが怖いもの、

人生が狂っていった気が致します。


しかし、どんなことがあっても

いつからでも

心持ちで変えることができると信じてるので

自分を信じて生きなきゃだめです。


誰のものでもない自分の人生だし

真似をして生きても、つまらないし、

ホントに、強く自分を持って

生きないと自身に失礼です。

身を持って生まれたわたしです。


なにかの使命があると信じています。


旦那と高校のときに

この人、と思ってたとしても

この人と一緒になっても自分の人生生きてない、

と思ったから別れて

20年後に再会したときに

お互いに求めたから再婚できました。


あの時人生ピーク笑い泣き


あれからも色々あるけど

とりあえずまだ別れずにいます。


幸せだと思います。

文句言おうが生きれてますし。


娘を失ったことは今のところ最大の

ピンチですが、少しづつ私を取り戻そうとしています。


いつまでも娘を思うと後悔の念が

あちこちに出てきますが

それでは娘にも申し訳ないし

ご先祖様に叱られてもしょうがないけど

負けてはいけないと思っています。


この先もまだ人生は続き、死ぬ間際には

幸せだったと言える生き様で

死んでいきたい。

その時私しか居なくても

誰かが看取ってくれても、

どんな状況でも

そう思える全うした人生。


しばのお父さん。

いつもお父さんはしばの自慢でしたよ。

いつも生徒手帳に写真を忍ばせて

見せてくれた。

庭のサッシに片手をかけて立つ、

お父さんはカッコ良かった。

お父さんが亡くなって、

しばの環境は良くない方に変わりました。

私はしばが好きだったから、

そばにいてあげたくて

習い事で初恋の人が、いた場所大事だったけど

やめました。

それでも足らなくてしばは

結構不良してました。

だけどそれが私も辛くてなんとか、

サボるの止めさしたり…。

できることはしたんですけど…。

それは中学まで。


高校入ると生活もお互いに変わってしまって

引越もしたし(父の破産で)

しばも、就職したし、飲食店から夜の仕事に

なってしまってよくわからないことになってました。


しばと再会したのは、

姪っ子ちゃんと娘が友達になった

私が離婚で実家に戻った頃でした。

連絡先だけは知ってたから

手紙を書くとお姉さんから返事が来て

今何処にいるかわからないと。

それでも弟同士が繋がってたので

会えたと記憶してます。


でもその頃からしばはアル中だったりしたので

会ってもシンドいことが続いて

最後に連絡取れた時には私は再婚していて

その頃事故でしばも亡くなったんです。


辛かった。


単独でこの家に遊びに来てくれたのもしばが

最初でした。


そんなことを思い出されせてくれる

5月1日命日です。


しばのお父さん、

今も私の知ってる姪っ子ちゃんや

あんまり仲が良くないって言ってた

兄弟姉妹たちをたまには思いだしてくださいね。


それぞれ個性的なあの家族ですが、

いつも私達家族は思いだして

話すことが多いです。


不思議な縁ですが

これからも見守っていてください。