宮崎駿の映画をみると

いたるところに

世間に対する怒りエネルギーを感じる


彼の創作意欲の出発点は

怒りなような感じがする


新海誠の映画というと

壮大なテーマを取り扱っているが

全体的に軽さを感じる


宮崎駿の世界が好きな人の中には

新海誠の世界が

どことなく物足りなく

肩透かしを感じる人いるように思う


ヒット作を紐解くと

時代の集合意識をみることができたりする


藤井風や新海誠監督のヒットの裏には

集合意識全体の

魂の進化を感じる。


怒りというエネルギーで

人々に訴えても

人の心に響かなくなっていることもわかってきているようにかんじる


私自身

社会に対し

怒り心頭して

物事を推し進めようとした時期もあったが

怒れば怒るほど

怒りに共鳴する仲間しか集めることができずにいただけでなく、世間からも(怒り心頭してめんどくさいやつと認定され)距離を置かれた




ツインさんとチームを組むにあたり

また自分の中が

ざわざわしたりする


エネルギッシュさを感じないとか

もっと動いてほしいとか

色々な思いがでてくる




病に倒れたツインさんは

いいも悪いも

様々な感情を手放し

軽くなっている



怒りエネルギーも

過度な承認欲求も手放しをしている




怒りエネルギーを保有している人は

軽くて怒りエネルギーを手放した

ライトなエネルギーをもつ人に対して

やる気がない

ものたりない

能天気と思うときがある



また違った例かもしれないが

このブログをする前に

ツインに出会ったという女性と対面して

語り合うが

ツインに出会いもう数年たち

執着を手放して軽くライトになっている姿をみて

『あの人があっているのはツインじゃない』と

ジャッジしてしまったことがある




いま

ツインさんに対して

どことなく

せっかくのチャンスなんだからと

やる気がなさそうにみえるツインさんにお尻をたたきたくなっている私がいる



彼は軽くなっていってるだけなんだ



ちゃんと必要なところにたどり着くことをしっているからガツガツしていないんだ




昔は

入り組んだ怒りエネルギーや

過度に認められたいという承認欲求が同じという所が一緒で惹かれあっていた



これからは

どこで引き合うようになっていくのかな?