片付けや掃除動画を見ていて、投稿者が自分と同じことを言っていることに気づいた。

 

「別にここに長く住むつもりないからと思って放置してた」

 

この家に来た当初、確かに自分もそう思っていた。

それがもう30年以上経っている。

 

汚部屋住人あるあるなのかと思ってしまった。

 

生活の仕方が物凄く雑で、収納家具の大きさやテイストも滅茶苦茶で統一感がない。

 

雑然としている理由は、

 

「ここは一時的な仮住まい」

 

という意識で作られていたからだと気づいた。

30年以上お世話になっておきながら、ずっとただの荷物置き場だと思って生活していたのだ。

 

どこかに行きたいなら、ここでの生活で、理想の家、理想の生活のビジョンを明確化しなければ、どこへも行けるわけがなかったのだ。

 

夢実現ノートに、「実は気に入っていないが、買い替えるのが面倒で仕方なく使っているもの」を書き出してみた。

 

結果、家の中にあるものほぼ全部になってしまった。

全てのアイテムがサイズが合わず、微妙に使い勝手が悪いのだ。

どこに置くか考えず、物が入れば何でもよいという感じで買ってきたせいだった。

 

また、昔から「どういう用途でどこに使うか」ではなく、「買ってから用途を考える」という買い物をしてきた。

 

何も考えてこなかったことが思い知らされた。

 

 

理想の生活を考える時の基本中の基本は、こんまりさんの本で読んでいて気付いたことがある。

 

「家は、エネルギーを充填するところ」。

 

家は基本的に活動するところではなく、休むところだ。

 

どんな金持ちだろうと、どんな貧乏人だろうと、人間である限り絶対に変わらないことがある。

 

それが、「寝ること」と「食べること」だ。

 

とりわけ大事なのが、寝る場所を整えること。

 

安眠できないと体力が回復できず、パフォーマンスが知らないうちに下がるので、仕事も上手くいかなくなってしまう。

やがてそれが積み重なり、体の回復能力の限界を超えてしまい、結果色々な病気の引き金になってしまうのだ。

鬱病になって、睡眠障害の恐ろしさを実感した。

本当に、全てが一気に崩壊した感じだった。

 

全ての生活の基本は、如何に快適に安眠するかにかかっているといっていいぐらいだ。

 

食事の方は、料理が好きならキッチンが広いところにいってもいいが、「料理は好きだけど片づけは嫌い」とか、「食べるのは好きだが料理する気は起きない」とか、人によって違う。

 

私は、食べるのは好きだし料理もするが、いかに手間を省いて簡単に作るかばかり考えているズボラだ。手の込んだ料理は全くできない。

 

この数年、月に一週間とか寝込むようになって思い知った。

肉体のパフォーマンス力は、必ず衰える。

 

動けなくなった時に、いつもやっていたことをいつも通りに続けるには、こんなに気力体力を使わなければいけないのかと愕然とした。

 

なので、今は無理せず、お湯を注げばできるものや、レンジだけで調理できるものを常備するようになった。

 

勿論、年のせいにせず、体質改善のために小麦粉や砂糖、インスタントやレトルトなど極力取らないように気を付けたり、体が酸性に傾かないように気を付けるようになった。

 

健康と安全を守ること。

 

当たり前のようだが、このことを見逃している人は多い。

 

私も、母や自分が体調を崩さなかったら、何も考えなかったかもしれない。

 

家の中で特に死亡事故が多いのが、トイレやお風呂、キッチンだ。急激な温度変化がある場所は、体にとんでもなく負担をかける。

 

実際、うちも洗い場と脱衣所で温度差が激しいので、去年は母が一瞬で体調を崩した。

断熱シートを全面に敷いて、その上に転倒防止用にクッションマットを敷いたら、温度差がほとんどなくなり、その後は寒さに震えることもなくなった。

 

温度変化が少ない体の冷えない家、というのは、必須条件にしよう。

 

 

寝る場所は、微妙に今も悩み中だ。

 

昨夜も、懲りずに今度は西に頭を向けてみた。

頭の方に、キッチンが見えた。

 

すると、やはり眠りが浅く、刃物が自分に向かってくる映像で起きてしまった。

 

仕方ないので、また夜中に布団を引きずって東に変えた。

 

今夜こそ、大人しく東枕で寝る。

 

 

 

他の理想が頭に浮かばないが、実は理想の家を思い描く時、ぼんやりと頭に浮かぶ感覚がある。

 

母と10年以上前に、京都へ旅行へ行ったことがある。

姉夫婦が大阪にいるので案内してもらった。

西山艸堂という豆腐屋さんで食事をご馳走になった後、醍醐寺や上賀茂神社などに連れて行ってもらった。

 

私は完全インドア派だし、乗り物酔いや人酔いも酷いタイプだが、京都はどこへ行っても楽しかった。

物凄く肌に馴染んだ。

 

家に帰ってきた時、自分の家の方が他人の家のように感じて落ち着かなかった。

母も全く同じ感覚を覚えていた。

 

京都は盆地にあるので、かなり夏と冬の寒暖差が激しそうだし、体への負担を考えると住むのはやめた方が良いと思うのだが、それでも、この時感じた「故郷に帰ってきた」ような感覚が、どうしても忘れられない。

 

他の所へも旅行に行ったことがあるが、家に帰れば、普通にホッとした。

 

京都に縁があるのか、それとも、京町屋が好きなだけなのか。

 

京都は、安倍晴明などの陰陽師が結界を張っていて、今でもその結界の力で護られている、という話を聞いたことがある。

そういう意味でも安心感があるのだろうか。

 

旅行が難しいご時世だが、あの時の感覚が何だったのか、もう一度確かめてみたい。