2003年12月12日、

渋谷屋根裏というライブハウスで「ポジティブ・バカ」(通称ポジバカ)という、音楽イベントを友達と主催した時に、

第1回目にC-C-Bに再結成いただき、

ご出演いただいたことがあります。

(Wikipediaにも少し記録されてます)


当時C-C-Bとしての活動はなかったのですが、友人とイベントを立ち上げる時に、

「この時代にC-C-B見たいと思わない?!」

と突拍子もない発想を提案されました。


バカはバカでも、ポジティブに考えられるなら、バカでもいいよね~

という話から「ポジティブ・バカ」というイベント名が付けられたのですが、ひとつのバンド、しかも伝説的なバンドに再結成していただくなんて、あまりにも現実的じゃない。

だけど、そんなそんなバカバカしい名前だから、現実的じゃない話でも、こいつらバカなんだなって思ってもらえたらいいか。

現実になったらそれこそRomanticが止まらない…


ダメ元で、当時、渡辺英樹さんにアポを取りました。

直接話を聞きたいと言って下さり、渡辺英樹さんに渋谷の喫茶店で直談判をしました。

まず最初に聞かれたのは

「何の曲が好きなの?」

私は

「「原色したいね」が好きです」

と答えました。すると英樹さんは、

「どんなとこが好きなの?」

と質問攻め…面接のごとく答えましたが、せっかくここまで来ていただいたから、なんとか出てもらいたい一心が沸き起こり、C-C-Bの曲の魅力を伝えました。

C-C-Bって、メンバーみんなボーカル取れるのもすごいと。


「いいね!その熱意受け止めた!

俺がみんなを説得する!あ、全員じゃないから、プチつけてね!プチC-C-B!」

と、出演を約束してくださいました。

信じられませんでした。


英樹さんいわく、

「Romanticが止まらない」が出てくるかと思ったら、「原色したいね」が出てくるとは思わなかったから出演を決めたと、後でおっしゃってました。


「原色したいね」は渡辺英樹さんの作った曲でもあったのですが、まさかその曲を口にしてくるとは予想外だったようで、「歳いくつ?よくその曲が出てきたね」と言われ、当時27歳だったので、若くはなかったですが、C-C-Bの曲はポップで他にもいい曲がたくさんあります。

と、お伝えしたのを今でも覚えています。


それから英樹さんが、関口誠人さん、熊本に住んでいた笠浩二さんに連絡を取ってくださり、イベント前日のリハにわざわざ呼んで頂き、

久々にきちんとしたライブハウスに出るから…

と、真剣に取り組んでくださり感動しました。


写真を撮ることなんてできないぐらい、ミュージシャンのリハーサルは神聖な場所だと感じました。

その時に笠さんとお話をし、熊本に住んでいるから、久々に飛行機に乗ったよ~

とテレビでみたことのあるあのトーンでお話をしていて本物だあ!

と存在に感動し、ずっと気になっていた笠さんのピューンって面白い音がするドラムは何を使っていたのかを聞いたりとかして、初めてお会いしたのに、いい意味で、近寄り難い雰囲気は一切なく、ニコニコ和やかに私たちのことを受け入れてくださる素朴な親戚のおじみたいな優しさでした。


ライブ当日は、想定を上回るお客さんが見に来て下さり、ライブハウスに入れずドアを開けっぱなしにするほど…当日券の読みの甘さで、ご迷惑をおかけしたりもしたのですが、

笠さんも、久々にライブハウスに出演し、たくさんのお客さんをみて熱い気持ちになったと喜んでくださり、そこぐらいから、C-C-Bを再結成して活動再開するきっかけの1つになったと言っていただけて、お声かけして良かったなあと思いました。


そんな英樹さんも、笠さんも、

今いないと思うと信じられない気持ちでいっぱいです。


自分もいつ何があってもおかしくは無い年齢ではありますが、人生のわずかな時間でも、一緒にひとつの時間を作り上げることが出来て光栄でした。



笠浩二さんのご冥福を、心からお祈りします。

たくさんのときめきをありがとうございました。