今日は暖かい一日でした。
こんな日のうちに、うちの犬のサークルを冬仕様にするため、ダンボール箱を切って、サークルの囲いを作る大仕事をしました。
テレビの段ボール箱を切ったんですが、これがまた、ダンボール・カッターがなくて、ハサミで切ったので、本当に、なかなかの作業となりました。
まだ、作りかけなので、今度の休みにでも、続きをしようと思います。
さて。
最近、私は、私がこれまで信じていたことと、真逆の考え方をしていて、真逆のことを言う人に出会いました。
しかも、その人は、立て板に水で喋るので、もう、私が口を差し挟む余裕もなく、はっきり言って、話を聞いているだけで、しんどくなってしまいました。
さらに、私は、昔から、人の話を信じやすい性格なので、もう、これまで自分が信じてきたことと、今回、その人が言ったことが入り混じって、頭の中が、混沌としてしまいました。
そんな中、私が今、こうしていきたいと思ってること。
それは。
自分が全く信じられないようなことを言う人のことを、全て、鵜呑みにする必要はない。
でも、全て、聞き流してしまって、その考えを何も受け付けないという態度をとる必要もない。
人の意見を変えてやろうとか、自分の話を無理矢理、聞かせようとする必要もない。
いっぱい言われたときには、自分に必要だと思うことだけを受け取り、あとは、流してしまうこと。
もし、人との関係で、自分と真逆な考え方をしている人と出会って、その時、自分の方が正しいと思うあまり、人を矯正してやろうとするのは、傲慢だなと思います。
たとえば、A、Bの二つの店があるとします。
私が、Aという店の常連で、そこが一番だと考えているとします。
そして、Bという店は、店員さんの感じもイマイチだし、雰囲気も悪いと思っているとします。
そこへ、友達が来て、「Bの店に行きたい。」とか、「Bの店が好き!」と言うとします。
その時、自分の考えだけで、「Bはダメだよ!」というのは、傲慢だと思うのです。
それは、私の考えであって、人は人で、また、感じ方が違うから。
たとえ、自分は、Aの店が最高で、Bはダメだと思ってたとしても、友達にとって、Bの店が肌に合うと言うなら、それはそれで、アリなんじゃないかと。
友達の「現在」にとって、Bの方が、今、必要な時期なのかもしれないから。
たとえそれが、間違った選択だったとしても、その選択が、その友達の人生には必要なのかもしれない。
でも、なかなか、こんな風になれない自分がいます。
つい、お節介してしまいたくなるし、自分の意見を通したくなる。
「良かれと思って・・・」
でも、いったい、誰にとって、「良かれ」なんだろう??
相手?自分??
だから、私と真逆のことを言う人との出会いは、今の私にとっての修行なのかもしれないと、ふと思いました。