がまん大会みたいに暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか?



さて、今日は、自分の選んできた道についてのお話です。


みなさんは、今、ご自身が歩んでこられた道を、自信持って「自分が選んだ道」と言うことができますか?


正直なところ、私にはそれができません。


思い返せば、私は、人の期待に応えたくて、そのために自分の生き方を選択してきました。

それも、恐ろしいことに、おそらく、物心ついた時には、その生き方を始めていたことと思います。


私にとっては、親の(特に母の)期待に応えることが、私自身が生きるための絶対条件のようなものでした。

母が認めてくれる生き方でなければ、私は存在意義もないし、だいたい、そんな、母が認めないような生き方は絶対にしてはいけないものだと信じて疑っていませんでした。

もっと言えば、その他の生き方があるなんて、全く知りませんでした。



私の母は、自分自身の生き方に失敗した人なのだと思います。

だから、私には、母が考える「正しい道」を生きていって欲しかったし、そうすることで、母親としての自分を周りから認められたかったのでしょう。



大人になり、そのことに気づいた時、私の母への思いは憎しみ以外の何物でもなくなりました。

仕事につまづき、

「こんなはずじゃなかったのに」

「私には、ひょっとしたら、もっと したいことだってあったかもしれないのに」

そう思うと、憎しみはさらに増し、どうしようもない呪いのように、自分の中にマイナスの感情が渦巻きました。

自分の心まで操った母を許すことができていません。


実は母の思うとおりに生きてきた私は、いい歳になっても、いまだに、自分が一番したいことや、自分が一番好きなことが何なのかが分かりません。


たぶん、私は、母の思うとおりの生き方はしてきましたが、自分で考えて自分でやってみるという経験が、あまりに不足していたのでしょう。

だから、自分が、親の気持ち抜きで、何をしたら良いのかが、全くわからない。


そして、時間だけが過ぎ去り、歳をとり、気持ちばかりが焦っています。

苦しい限りです。



ただ、大人になり、周りの人の助けもあり、


「もう、人の言うとおりに、人の機嫌を取るために生きなくても良いのだ」


と、気づくことはできています。

それが、私にとっては大きな進歩です。



もし、私のブログを読んでくださっている人の中に、自分の生き方が「誰かに気を遣った生き方だ」と思われる方がいらっしゃったら、新しい自分を探しませんか?


「不景気だし、何をやってもうまくいかなさそうだし、下手に仕事をやめることができない。」

「どうやったら、自分の生き方になるのか、全然、わからない。」


その不安な気持ちは、ものすごくよく分かります。


けれども、これは、他の誰でもない、自分自身の人生。


そろそろ、自分の人生のコントロールは、自分にしませんか?

あなたは、誰に操られることなく、自分で自分の最高の生き方をすることができます。

本当に自分の生き方ができれば、人を許し、自分を許し、愛していけるのだと、私は思っています。


私は、その生き方を目指します。