今年のノーベル賞ではAIが注目を集めました。
物理学賞は、機械学習や人工ニューラルネットワークに関する基礎的な研究を行ったジョン・ホップフィールド博士とジェフリー・ヒントン博士に授与されました。
化学賞のデビッド・ベイカー博士、デミス・ハサビス博士、ジョン・ジャンパー博士も、AIを活用してタンパク質の構造を予測することに成功したことに対する受賞で、特にDeepMindのAlphaFoldプログラムによる成果が評価されています。
AIは今や私たちの生活に不可欠な存在になっていることを示しています。
AIがもたらす技術的な利便性の裏には、潜在的な危険が潜んでいます。
いくつかの仕事がなくなるという次元の問題ではありません。
AIは、私たちの判断や行動にも影響を与えています。ヒントン博士自身も、AIの急速な発展がもたらすリスクについて警鐘を鳴らしています。
今日は何を食べようか、私は変わり映えのしない日常に辟易としていた。スマホで料理を検索するが、どれもこれも心に響かない。ため息をついてふと、AIを使ってみよう、と思った。
私「今日の夜ご飯のオススメは?」
…
AI「天丼はどうでしょう?」
いや、もっと軽いものが良い。再び尋ねる。
私「もっとあっさりしたものがいいな」
…
AI「サンドイッチはどうですか?」
夜ご飯にサンドイッチか。AIに仕事を奪われる?まだまだそんな時代は来ないわ。
私はまたため息をつき、パソコンを閉じて帰路につく。今夜はミネストローネにしよう。
変わらぬ日常。しかし私は徐々にAIを多用するようになっていった。
なぜなら最近良く私の意に沿う答えをくれるようになってきたからだ。
今日はTVであのドラマやっているけど、今の気分的にはあの重厚なストーリーが重いんだよなぁ
AI「音楽を聴きながら編み物でもどうですか?」
中々良いチョイス、まるで私の心を読んでいるかのようだ。
AI「オススメのセレクション流しますね。」
心地よいギターの音色。
AI「https://www.xxxxx」
なんだろうと軽い気持ちでクリックすると、美味しそうなプリンが表示される。75%offか。悪くない。買ってしまおう。
いつからだろう。あのトンチンカンな答えばかりだったAIが的を得るようになってきた。これがディープラーンニングか。
次第に私の生活にAIは欠かせなくなっていた。食べるもの、着る服、すること。小さな選択は次第にAIにゆだねるようになってしまった。
ある日。
ピロリン。
K「金曜日、お食事でもどうですか?」
こないだ飲み会で知り合ったKくんからだった。彼はとても誠実で爽やかな好青年だった。モノクロの今の私の生活に彩りを与えてくれる唯一の存在。
私「はい、楽しみにしてます!」
ピロリン。
K「何か食べたいものはないですか?」
どうしよう、困ったな。美味しいお鮨が食べたいけど、デートにはどうかしら。そうだ、AIに聞いてみよう。
AI「イタリアンにしましょう。」
まぁイタリアンは無難ね。
当日。
Kくん「さてと。お刺身が食べたい気分だから前菜はカルパッチョでどうかな。」
お鮨ではなかったが、お刺身が食べられて幸せ。彼と私と食べたいものが一緒だったなんて。心が通じたようで嬉しい。会話も弾む。
K「メインはお魚とお肉どっちにする?」
あぁ決められない。AIに聞きたい…これがAIに依存し、支配されるということなのか。
K「ちょっとお手洗いに」
彼が席を立ったすきにAIに尋ねる。
私「この後、お泊まりしたいけど何て誘ったら自然かな?」
…
AI「好きなお鮨を聞いてみたらどうでしょう」
あれ?何かのバグかしら。やっぱりまだAIは発展途上ね。そうか、AIはデートしないものね。誰かもっとデートについてAIに教えておいてよ。いや、デートまでAIに依存するなんて私の方がどうかしてたわ。
そんなことを考えていると、テーブルの携帯が光る。彼が置いていった携帯だ。
そこには
AI「彼女はお刺身が食べたいはずです。前菜にはカルパッチョを頼むと良いでしょう」
なるほど、彼もAIを使っていたのか。お刺身が食べたかったのは偶然でも彼と気持ちが一緒だったからでもなくAIの提案だったのか。
ガッカリしたのは束の間、次の行をみて私は背筋が凍った。
「彼女が"お鮨"の話をしたら、今夜は家に誘いましょう。」