ありがとう仙台 | ちえの『てにをは』 決めた未来に流れ着く。

ちえの『てにをは』 決めた未来に流れ着く。

心屋塾マスターコース73期卒業しました。
ディズニー、懸賞、日々の気づきの雑記帳

ちえさまです。

今日はノスタルジーにひたるので
長いです。


Meg.さんの出版記念パーティーを機に
久しぶりに仙台に来た。

とても素敵な時間を過ごした昨日。
仙台っていい街だなぁ。
ありがとう仙台。
そんな気持ちになった。


生まれも育ちも北海道のわたしが
結婚と同時に実家を離れて
初めて住んだ街、仙台。
夫の親類以外、知人はいなかった。

子どもが生まれ、
北海道の親友が病気で亡くなり、
子育てに悩み、
夫との関係に悩み、
心屋に出会い、
東日本大震災があり、
二年間実家に帰り夫と別居、
再び仙台に戻り三人で暮らし、
懸賞応募にはまり、
流産をきっかけにわたしの卵巣がんがわかり、
手術と抗がん剤治療。

夫の転職で千葉に引っ越すまでの10年
暮らした仙台には思い出がある。




昨日のMeg.さんのパーティーの後、
友達とお茶した。

彼女は余命を宣告されたおばあちゃんのもとに
毎日通ってお世話していていて、
身も心も忙しい中で
時間を作って来てくれた。
子どもみたいにまっすぐな彼女と話すと
ただただ楽しい!


しゃべり足りないままに友達と別れ、
叔父の家に向かった。

叔父叔母からみると、わたしは
『甥っ子の嫁』という立場だが
わたしたち夫婦を子どものように、
うちの息子を孫のように可愛がってくれた。

わたしの息抜きのために
叔父叔母が幼児だった息子を連れて
お弁当を作って大きな遊具のある公園や
ショッピングモールに出かけてくれたことが
何度もある。


息子の運動会や学芸会を見に来てくれ、
わたしの抗がん剤投与に対する
医師の説明を一緒に聞いてくれ、
夫婦喧嘩の仲裁をしてくれた。


わたし達家族は
叔父と叔母の家に足を向けて眠れない程の
たくさんの愛情を受け取るばかりだ。

身体が大きくてエネルギッシュな叔父が
最近体調が良くないと叔母に聞いていた。

数日前に叔母が教えてくれた叔父の病名は
若年性アルツハイマーだった。


会いに行ったらわたし達のことはわかった。
以前は冗談ばかり言ってた叔父は
あまり言葉を発さずに
ぎゅーーーっとわたし達の手を握った。
痛いくらいの力で。


叔父と叔母に会えて嬉しい気持ち、
介護している叔母の心労、
(叔父の娘さんもいま辛い闘病中である)
叔父が病気で変わってしまったことが
悲しい・恐い気持ち、
居てくれてありがとうという気持ち、
これまでの感謝、
複雑な感情が入り乱れた。

夫は帰りの車中で
「こうやって世代が交代していくんだな」と言った。


なんだか全然まとめられなくて
べそべそ泣いてるままに書いた。


叔母が持たせてくれたビッグおにぎりとかぼちゃ煮


おわり!