土曜日は三男の小学校生活最後の授業参観だった。

新校舎では各教室の廊下側を開け放ち、

オープン形式だったので

下学年の授業も自由に見られたが、

1Fのフリーランニングスペースで

体育の授業をしている(体育館がまだ出来ていない)

子供達の歓声が結構五月蝿かったりして・・・

そんな中、三男のクラスの授業は国語で

谷川俊太郎さんの詩「生きる」を題材にしていた。

長男が小学生の頃は

勉強の出来なかった長男の勉強に

目を通す時間的余裕がまだあった。

しかし旦那が病気になった後は

余裕などなく、子供の教科書なんて

見向きもしていなかった。

という事で、私はこの「生きる」という詩を

この時初めて目にした。

生きているということ

今生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

あなたと手をつなぐこと

生きるということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして

かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ

生きているということ

いま生きているということ

いま遠くで犬がほえるということ

いま地球がまわっているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまブランコがゆれているということ

いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ

いま生きているということ

鳥がはばたくということ

海がとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

あなたの手のぬくみ

いのちということ

これを読んでなんだか胸が詰まって

涙がこみ上げそうになった。

私たちは日頃意識しないけれど

何気ない日常の一瞬一瞬を確かに生きている。

では日頃私が病院で接している

意思表示もままならない

寝たきりの患者さんたちはこの「生きる」と

いう適宜に当てはまらないのではないだろうか・・・