今日、お姑さんの49日の法要があった。
夜勤明けで9時半に家に帰り、
風呂に入って着替え、11時から御勤め。
お経があげられていた間、
はっきり言ってつまらない授業時間の時と一緒、
舟を漕いでおりました、ハイ。
23人の親戚を招いての御膳だったけど、
私は座敷に行かず
子供達とオードブルや寿司を食べ、
片付けも親戚の方に任せ。
お休みなさい、と2時間熟睡。
思ったとおり、「夜勤明け」と単語は
雑務からの「免罪符」としての威力を持っていた。
これでやっと葬儀に関わる行事が
終わり、ほっとしたわけだが、
私が思ったこと、それは
「面倒くさい!!」
霊の存在は信じているが、
立派な葬儀を出さないと
その人は浮かばれないのか?
という事に疑問を持っている。
私自身は、死はあくまで元の世界に帰るだけ、
解脱を到るまでのリーインカネーション
というサイクルだと思っているので、
私が死んだら、
葬式なんてあげなくていいよ、
そこらに散骨するだけでいいから~!!
って気持ち。
以前【千の風になって】という詩が話題をよんだ。
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません
眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹き抜けています
秋には雨になって 畑に降り注ぎ
冬はダイヤのような 輝く雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
という作者不詳の詩だ。
(一部違っているかもしれないけど)
1年以上前、読みたい、と思っていたときに
図書館で写真集のようなその詩の本を見つけ
初めて読んだのだが、何度読んでも
感動で涙が止らなかった。
後にその感動を地域のmlで伝えたことで
CDも貸してもらい、
その歌を聴いてもまた涙。
私の思うリーインカネーションとは少し違うが、
死が全ての終わりではない、再生である。
死は暗く悲しいものではない。
という考えはある意味一緒ではないだろうか。
と、こんなことをしている場合ではない、
全く手付かずの明日のテスト勉強しなきゃ。