幼い頃からの夢であった宝塚の舞台にご縁あって立つ事ができ、

宝塚音楽学校含めたら15年間の宝塚人生でした。


2007年4月15日に卒業したんですが、

退団理由は、明確な理由を言葉で表現するのが難しくて、、 

それまでは退団しようか、やっぱりやめようとか悩んだ時期が全くなく走り続け、

いつものように朝起きて、あ、幸せだ、
満足だ、卒業しよう、て思って、、、それが理由と言えば理由です。

4月に卒業して、その年の8月に新橋演舞場、
大阪松竹座にて上演しました〈憑神〉という舞台で、宝塚退団後初舞台を踏みました。

宝塚しか知らない人生だったので、
退団後は色々なことに挑戦したいなと思い、
地元静岡を拠点とし、地元のテレビ局でリポーターをしながら舞台のお仕事の時だけ東京に通う生活が1年ほど続いた後、拠点を東京移し、舞台を軸に芸能活動をスタートしました。

ミュージカル、ストレートプレイ、
和物のお芝居も大小いろんな劇場で立ちました。初めてミュージカルのオーディションなんかも経験しました。

宝塚は組が変わらない限り、カンパニーは変わる事もないですし、外部から振付師はいらっしゃいますが、座付きの演出家さんはじめ周りの人達もほぼ変わらないです。
信頼と安心感。まさにファミリーって感じ。
組のピラミッドも出来て、トップさんをみんなで盛り上げて良い作品を作り上げよう!という一体感が既に出来上がっています。

これまでがそのような環境でしたので、
退団後の舞台は、作品ごとにカンパニーが作られて、勿論メンバーも違いますし、年代も芸歴も様々。
いろんな畑で芸に携わってきた方々との出会いというのが、毎回大変刺激になりましたし学びになりました。
ただ当時はそんなに社交的な方ではなかったので、やはり人見知りも発動して、
稽古に溶け込むまでに時間が毎回かかっちゃいました。

映画やドラマ、新たな事にも挑戦し、
その経験というのは何でも自分の成長に繋がっています。

そして様々な経験を経て、
改めて自分は宝塚が大好きなんだという、
宝塚への愛の深さを再認識しました。

物心つくころから宝塚の魅力に魅せられた人生。
自分の情熱の全てをかけられるのは、
やはり宝塚しかない❣️と思い、
また別の形で宝塚と関わって生きていきたい!
と思い、スタジオ開講に向けて、
全く経営した事がない私の、起業への道のりが始まりました。

詳しくはYouTubeでお話ししておりますので、

良かったら覗いてみてくださいませ照れ

初嶺麿代チャンネルはこちら 💁‍♀️