母の3回忌と、祖父の27回忌の法要を無事行うことができました。


母が亡くなって2年経った今も、毎朝「今日も一緒に成長していこう」と話しかけています。お互いに未熟だったゆえにたくさんぶつかって、今でも思い出すと涙が溢れます。


最近思うことは、母は、私の人生で本当に嫌な役割を演じてくれていたんだなぁということ。


長い時間、、、


私には長いと思えているけれど、永い永い時間の中で、何度も何度も生まれ変わっては色々な人生を経験する魂にとっては、一瞬の出来事だったのかもしれません。


本当に嬉しそうに笑っていたこともたくさんあったのに、どうしてもっと仲良く暮らせなかったんだろう。


私は母に幸せになってもらいたかったし、一緒に幸せに暮らしたくて色々なことを言ったけれど、私の気持ちは少しも伝わらなくて、、、母は母で自分の人生を生きていたんだから、その選択を尊重してあげればよかったんだと今なら思います。


人はそれぞれのスピードで成長するものだから、いくら家族でも、それを邪魔したらいけないな〜と思います。


聞くに耐えない愚痴でも「うんうん」と聞いてあげたらよかったのかもしれません。そんなこと、わかっていてもやっぱりできなかったかもしれませんが。


母が亡くなった季節が巡ってくると、亡くなる少し前に、母が好きだった栗の渋皮煮を作るために延々と栗の皮を剥いた記憶が蘇ってきます。






そして、、、

私を本当に可愛がってくれた祖父が亡くなって、もう27年が経ちました、、、


祖父が亡くなった時、私はボストンでの生活を終え、サンフランシスコに数泊して日本に帰ろうとしていた時でした。

母はそれが愛情だと信じていたのか、いつも私にとって大切なことを知らせてくれませんでした。

帰国したあとで祖父の死を知りました。

抗がん剤によるショック死だったそうです。人は癌で亡くなるより、その治療で亡くなるというのは、なんとも皮肉なものです。


読経の時、改めて祖父が亡くなった日付が読み上げられて、あの頃の記憶が蘇ってきます。


こうして書いていると、祖父の笑顔が大きく私の中に映し出されてきました。

きっと、そばに来ているのかもしれません。


最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^