手術日には叔父も病院へ来てくれたので心強かった。

手術を受ける母を見送り、お茶をし、時間を持て余していると、そのうち執刀医に呼ばれた。

切除した細胞を「見ますか?」と先生。

叔父はしっかり見ていたけれど、こういうのが苦手な私はチラ見しただけ。

なんだか具合が悪くなりそうで、先生からの説明は全く頭に入ってこなかった。

ただ「私が思っていたよりもがん細胞が大きく、苦労しました」っぽいことを言っていたような。

何はともあれ、手術は無事に終了した。

 

退院後は、放射線治療のため通院の日々が母を待っていた。

自宅病院間は電車で片道1時間。

これが1か月強続いた。

放射線治療に加え、術後5年間飲み続けるという薬の副作用にも悩まされることになる。

身体はきつかったと思う。

それでも家で、テレビもつけず、ただひたすら息子を思い涙している日々に比べたら、この

「電車に乗り、病院へ行き、人と関わる」ということを「しなくてはならなくなった」状況に、

私は救われた思いがした。

もしあのまま、ただただひたすら泣き続けるだけの日々が待っていたとしたら。

不安定な精神状態はおそらくもっともっと深刻化していっただろう。

そう思うと、私にはこの病気が母の生きる活力になってくれた気がしてならない。

気が付けば、放射線治療も無事に終わっていた。

 

手術を受けるにあたり色々と検査を受けた結果、内科にもお世話になることになったようで、放射線治療が終わってからも母は時々病院へ出かけて行くことがあった。

そんなある日、病院から帰って来た母が「今度は副甲状腺機能亢進症とかで手術だって」と

言った。

「あんだって???」。

もうそんな感じだった。