2月だったか3月だったか。

母が「右胸が痛い」と言い出した。

元来我慢強い人だし、病院嫌いだし、頑固だし、そもそも風邪さえひいたことのないぐらい

超元気印の人。

だから、私の「一度病院行ってみる?」という言葉に素直に頷いた時には驚いた。

「今私に何かあったらこの子がひとりになってしまう」。

まともな時の母がそう思ったらしい。

乳がん検診を受けられる機関をいくつかさがし母に提案してみると、早速「この病院に連絡

してみる」とひとつの病院をあたり、そして検診へと向かった。

検診から帰ってきた母は、「すごく感じのいい先生だった。痛いのはガンじゃないんだって」と

言った。

怖い病気の全てがガンとは限らないけれど、なんとなく「ガン」と聞くとドキッとする。

ガンではないようなので、とりあえずホッとした。

 

後日、母は検診結果を聞きに病院へ出かけて行った。

その母からの電話に出ると、「私、乳がんだって」と言う。

え?????

あまりにも驚きすぎちゃって、座っていたイスから転がり落ちそうになった。

「でもね、ステージゼロなんだって」。

え?????

 

話をよく聞いてみると、転移しない「非浸潤がん」とのことだった。

もしかしたら痛かったのは胸周辺であって、胸ではなかったのかもしれない。

でも、痛くならなければ母が乳がん検診を受けることはなかったと思うと、痛みに感謝かな。

超早期発見、ありがたかった。

がんを見つけてくれた先生の病院では手術はできないとのことで、紹介状を書いてもらい、

後日大学病院へと出向いた。

 

紹介していただいた大学病院の先生もとても感じのいい人だと言っていた。

この時点では乳房温存可能とのこと。

転移しないタイプのがんであり、乳房温存できる。

何よりだった。

女性にとって「胸」はやっぱり特別であり、そこに年齢は関係ないと思うから。

 

そんなこんなで、入院・手術の日程が5月上旬に決まった。

偶然にも母が入院したのは弟の誕生日。

単なる偶然かもしれないけれど、私には「見守ってるからね」という、弟からのわかりやすい

サインのように思えてならなかった。

 

 

母も私も、この乳がんに救われたところがある。

「あの子のところへいきたい」と毎日毎日涙を流していた母だったけど。

やっぱり母もひとりの人間。

自分の病気がわかってからは、どうしたって母自身の病気のことが中心になっていった。

息子を亡くした悲しみが消えることはないけれど、悲しみだけに囚われていた日々は

少しずつ変化していった。