翌朝、叔父と母と3人で病院へ向かった。

弟と対面し、医師からの説明を受けた後、病院側が用意してくれた小さな部屋で呆然とした

時間を過ごしていた私たちだったが、「大きな変化が見られない」とのことで、少々の外出が

許可された。

何かを感じているであろうワンコたちの様子が気になったので一度帰宅した。

そして再び病院へと向かっていたところ、病院から「そろそろ危ない」との連絡が入った。

病院へ到着した。

叔父と母を降ろし、私は駐車場へ向かった。

車を駐め急いで病棟へ向かうと、そこには医師に食らいつく叔父の姿と、泣き崩れている

母の姿があった。

2015年12月30日17時ごろ、弟ユウキは脳出血により37歳でこの世を去った。

 

 

なかなか連絡がつかずヤキモキさせられた父が病院へ到着したのは、弟が「死亡」と

診断された後だった。

実父のことをあれこれ言いたくはないが、父という人は本当に本当に身勝手な人だったので、

自分に子供がいることなどすっかり忘れて生きてきたと思う。

それでも私と弟にとってあの人が父親なのは変えられない事実であり、また、父にとっても

2人の子供がいるということは、変えることのできない事実であった。

家族をまとめようと腐心したこともあったが、一向に気持ちが通じない父に疲れ、

いつしか私は「父」という人を諦めた。

諦めたていたはずだった。

それでも、弟が亡くなってしまった「今」が現実だとするのなら、自分の息子に対しあまりにも

無関心を貫いてきた父に、はらわたが煮えくり返る思いだった。

と同時に、父のあまりにも愕然としている姿を前に、何とも言えない哀れみも覚えた。

 

どう考えても父に立場はなかった。

それでもさすがに「逃げ出すことが許される状況でない」ということはわかっているようだった。

何十年分ものうしろめたさがそうさせたのだろう。

母に話しかけることができずにいた父は、なんでもかんでも私に聞いてきた。

本当になんでもかんでも、母に直接聞いてもらいたいと思うようなことまで、とにかくいちいち私に聞いてきた。

そんな父にイラッともムカッともさせられたけれど、喧嘩している場合ではない。

この時ばかりは家族というチームを組み、力を合わせていくしかなかった。

私も弟も未婚であり子供もいなかったため、私たち家族の中で一番の最年少が

亡くなったことになる。

それはそれはもぅ、大パニックだった。