今年の4月から、会社から徒歩15分ぐらいのところに小さな部屋を借りています。

部屋は小さいのですが窓が大きいので眺めが良く、休みの日にはどこにも行かず、日がな一日窓からの景色を見ていても、ちっとも飽きることがありません。


気のせいと言ってしまえばそれまでですが、日によって窓の外の建物たちの様子が違って見えます。

上の写真は、建物たちがなんだかちょっと嬉しそうに見えた日です。


先日の雷雨の夜はすごかったです。


この日の建物たちは、ひたすら寡黙に沈黙を保っていました。


曇り空の日は何となく重い感じが漂います。


それはそれなりに、また美しい景色です。


でもやっぱり、スキッと晴れた日の方が、建物たちも元気そうに見えます。


京都で生まれ、3歳までは名古屋でしたがその後はずっと京都で育ち、まさか自分が東京で暮らすことになるなんて想像もしていませんでした。

いつまでここにいるのか、次はどこに行くのか、先のことはわかりませんが、与えられた機会を最大に楽しんで毎日を過ごしていこうと思います。

海外からのお客さまのお供でスカイツリーに行きました。634メートルの塔は、近くで見るとさらに迫力があります。


スカイツリーが建設されていた頃、葛飾区高砂に住んでいました。

押上あたりにできると聞いていたので、近くだから見えるはずと思っていたら、毎日通っていた高砂橋から、ある日ひょっこりニョキッとその姿が見え始めました。

そして日に日にだんだんと高くなって行きました。


震災の日、浅草橋のレゴ社にいたので、避難場所だったすぐ目の前の中学校校庭から、余震でゆらゆらする建設中のスカイツリーが見えて、あの中に建設作業中の方がたくさんいらっしゃると想像するだけで足が竦みました。

電車が止まってしまったので、ひたすら歩いて帰るしかなく、歩きながらどんどん近づくスカイツリーの姿をなんとも印象的に覚えています。


450メートルの高さから見ると、普段は見上げているビルたちが小さく感じられ、また、東京には案外と緑が多いことがわかります。

おもちゃのように見える街では、私を含めたくさんの人たちが悲喜交々の毎日を送り、昨日よりも今日、今日よりも明日と、幸せな人生を手繰り寄せながら暮らしているんだななんて、なんだかしみじみ感慨深かったです。

いつもの場所を時々違う視点から見てみるのは、実はとても大切な時間だなと思いました。


ところで!

340メートル下の景色が透けて見えるガラスの床は、大丈夫と頭で思っていても足がすくみました。笑


していることは地面に足を下ろすのと何も変わらないのに、ここが地上340メートルの高さだと考えるから怖くなる。

逆に、同じ地上340メートルなのに、下が透けて見えないところに立って歩くことは怖くない。

全て自分の思考によって作り出されているものなので、事実だけを客観的に捉えて判断するって、実はとても難しいことなのかもしれないと気づきました。
これもお気に入り定番の一冊です。

ありえないことか起きても目の前の出来事を受け入れて楽しむ子どもの心と、ありえないというだけで事実を否定するところに留まってしまう大人の心。

これは、ある日、庭の小さな池にクジラがいることに気づいたエミリーが、クジラの世話の仕方を教えてもらおうと手紙を書いた相手のミスターブルーベリーとの往復書簡の形で進むお話です。


クジラは塩水に住むと聞いて池にお塩を入れるエミリーと、池にクジラが住めるわけがないのでそれは金魚じゃないのかと返事するミスターブルーベリー。

少しずつずれたやりとりなのだけれど、エミリーが素直にミスターブルーベリーの言葉を受け止める姿と、なんとかエミリーを当たり前の世界に押し留めようとするミスターブルーベリーの姿が浮き彫りになっているところに、このお話の面白さがあると思います。


東京に引っ越したのは、子どもたちがまだ小学生だった頃です。
年が明けて、せっかく東京に来たんだからと、浅草寺に初詣に行きました。

雷門から本堂までいったい何時間かかったか覚えていませんが、とにかくペンギンのようなちょこちょこ歩きで進みました。


やっと本堂に入れたかと思うとそれまでの列が崩れ、我先にと前へ前へ進む人並みに押されて、5人の子どもたちとも夫ともはぐれてしまったのでした。

幸いなことに夫は身長180センチ以上ありましたので、すぐに見つけることができました。
娘たちもパパを目印に人混みから抜け出てきました。

最後に息子が泣きじゃくりながら来て、
「男の子が泣くんじゃない!」
と言いましたら、
「喧嘩を始めた大人に巻き込まれて殴られた。」
と言うので、それは大変だったねとなぐさめていたところへ、、、


見知らぬ日本人男性がいきなり夫に向かって、

「ふぃっちかんとりー」

と一本調子のイントネーションで話しかけてみえました。

状況としては、初詣で、家族連れで、しかも子どもが泣いている、そういう場面でした。

とっさに言われていることがわからず、きょとんとする夫に、重ねて、

「ふぃっちかんとりー」

と尋ねられるので、ちょっと不機嫌になった夫が、わざと、

"This is Japan.”

と答えたら、

「のー、のー、のー。ゆう、ふぃっちかんとりー」(これも一本調子で)

これに対して完全に腹を立てた夫は、ネイティヴでも一言一句は聞き取れないだろうと思うぐらい早口の英語で、

「いったい何考えてるんだ!状況を見てみなさい。家族で初詣に来てるのにいきなり話しかけてきて失礼でしょう。それに、子どもが泣いてるのが見えないのか?外国人はみんなタダで使える英語の練習相手じゃないんだぞ!」

という内容のことをまくしたてました。

そしたら、その男性は、

「おー、さんきゅう。」(これも同じく一本調子で)

と言って立ち去って行かれました。


これは極端な例ですが、夫と出かけると、知らない人が突然に、

「はろー!ふぁっつゆあねーむ。」

と話しかけてこられることは度々ありました。

教室以外で英語を使う機会の少ない日本ですから気持ちはわからなくないですが、相手も同じ人間だという視点を置き去りにしないように気をつけたいものです。

外国人=英語の先生、ではないですから。

父の仕事の関係で、生まれてから3歳までは名古屋に住んでいました。

あまりたくさんの記憶はないのですが、うちの前が小学校で夕方にたくさんのコウモリが飛んでいたことと、近所の市場のお嬢さんのお嫁入りの日に子どもたちにどっさりお菓子をくださったことは、今でもはっきりと覚えています。


私は覚えてないのですが、3歳になったばかりの頃に迷子になったことがあるらしいです。

京都生まれで京都育ちの母は名古屋に友だちもなく、平日の昼間はいつも私を連れてあちこち出かけていたそうです。

ある日、繁華街を歩いていた時に、ほんの一瞬だけ目を離した隙に私がいなくなって母は大慌て。

しばらく近辺を探したけれどどこにも見つからず、ついに父の会社に電話をして、仕事中の父にも一緒に探してもらえるように応援を頼み、とにかく走り回って必死で探したけれど見つからない。

もうこれは誘拐されてしまって二度と会えないかもしれないと半狂乱になった母でしたが、人はパニックの極限に達すると妙に冷静になるのか、あてどもなく探し回るのではなくその日歩いた経路を最初からずっと辿ってみることに思いいたりました。

そうしたら、3歳の私が泣きもせず、あるところに立って、あるものを飽きもせずにじっと見つめ続けていたそうです。

それは、、、


名古屋人のソウルフード、寿がきやの店の前に立っていたスーちゃんのお人形。
(今のスーちゃんとはデザインが違っていた気がします)

その私の姿を見た時に、母は全身の力が抜けたと言います。

そして、私が、

「ママ、どこ行ってたん?」

と、母を迷子扱いしたことを、笑いながら話してくれます。

子どもは、親とはぐれたらその場所から動かずじっとしていると聞いたことがありますが、まさにその時の私がそうだったようです。

ママと一緒に歩いていて、ふと見つけたスーちゃんに気を取られた一瞬にママを見失ってしまい、仕方がないからその場でママを待っていたのでしょう。


それとは別のある日、


デパートで迷子になったときに、一人でいた私を見つけてくださった店員さんに、私が、

「ママが迷子になったから探している。」

と言ったと、これも母がよく笑いながら話してくれるエピソードです。


大人になって定期的に仕事で名古屋に伺う機会があります。
そんな時いつも何となく懐かしい場所に帰ってきたような気がしています。
その頃から50年も経っているのですけどね。笑


*寿がきやさんと三越さんの写真はwebから拝借しました。