新紙幣の顔、五千円札は津田梅子です。


明治時代に初めての女子留学生としてアメリカに渡った5人の中で、梅子は最年少でした。わずか6歳でアメリカで暮らすのは大変だったでしょうが、11年間を過ごし、日本語を忘れるほど馴染めたのは幼くて柔軟な年頃だったからこそだとも思います。父親は初めは姉を行かせようと考えたのですが、姉が断ったため梅子にチャンスが巡ってきました。当時の考え方では、海外に長く滞在して婚期を逃す危険の方が問題だったようです。


11年後に日本に戻った梅子には、特に仕事が用意されてはいなかったので失望しましたが、同時に自分を留学させてくれた日本への恩義も感じていました。一時伊藤博文の家の家庭教師ともなり、その後は華族女学校の教師として働きました。


24歳で再びアメリカ留学した時には、大学で生物学を研究し、論文が学術雑誌に掲載された初めての日本女性となりました。生物学者としてそのまま暮らすこともできたのに日本に戻ったのは、日本女性の地位の低さや教育機関の不足に危機感を感じていたからでしょう。自分たちだけが学ぶのではなく、多くの女性に機会を提供し、後に続く世代を育てようとしたのですね。


彼女が始めた女子英学塾は、戦後津田塾大学となり今に続いています。現在当たり前に男女が学べる国になったのは、梅子のような先駆者のお陰です。大切に学び続けたいです。