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不妊治療日記

1974年生まれです。低刺激系のクリニックでは空胞続きで8ヶ月の間に2コしか採卵出来ませんでした。 両角LCに転院したところ、2回の採卵で7個の胚盤胞ができました。そのうちの一つを2013年12月に移植し人生初の陽性判定☆2014年8月、無事元気な男の子を出産しました♡

とーーーーんと、ブログから遠ざかっていました。

 

今更ですが、不妊治療終了と、ひとりっ子決定宣言をして、ブログを終わらせようと思います。

 

前回の記事ときたら、最後の判定日の2017年11月ものでした。

 

銀座に通っていたのはもう遠い昔のようで、「これ私が書いたんだっけ?」くらいの距離を感じますが、もう一つ前の記事「ふたりめへのおもい」は「そうそう、その通り」と今でも思います。

 

皇室を引き合いに出すなんて恐れ多いですが、眞子さまのご結婚の騒動を拝見しても、佳子さまという存在がどれほど支えになっているだろうと、きょうだいという存在の大きさを感じます。

 

特殊な境遇でお育ちのお二人にとって、同じ立場から語り合える人物がすぐ側にいることが、どれだけ大きな意味を持つでしょう。

 

やっぱり、息子にきょうだいを与えてあげたかったです。

 

実はすべての胚盤胞を移植し終わった後も、もうひと足掻きしています。

 

最初に行っていた、地元の不妊治療のクリニックで、地道に人工授精をしようと目論んでいました。

 

「(第二子を)45歳までは諦めない」と言い切った友達がいて、私も45歳まで、人工授精を続けようと思っていたんです。

 

でも、一度行って検査しただけで、結果さえも聞きに行かずに通院を終えました。

 

先生から「はっきり申し上げて、妊娠の可能性は2%ほどです」と言われたのち、カウンセラーとお話をしました。

 

小さな子供を育てながら、生理周期に合わせて都合をつけて通院するのは想像以上に大変だということ、年齢や治療歴を考えても、無事出産に至る可能性は極めて低いこと、などなどこちらの気持ちを聞きながら、きちんと伝えてくださって、今いる息子にその時間とエネルギーとお金を費やす方が賢明だと、自然と思えました。

 

そこですっぱりと!というわけではありませんが、だんだんと気持ちを切り替えて行きました。

 

妊活終了を決めてまずしたことは、ウォーターサーバーの解約です(笑)

 

無くてもいいと思いながら「またミルクを作ることになったら便利だし...」とだらだら続けていたク○クラ。

 

もうミルクを作る事はないので、迷わず撤去しました。

 

そして、海外の子どもをサポートする寄付を始めました。

 

始めた時に2歳だった彼女も、もう4歳です。

 

偶然にも息子と同じ年の女の子なので、成長が楽しみラブ

 

今日は息子と一緒に海の向こうのお友達に手紙を書きました。

 

うちは裕福では無いですが、寄付額は月にたったの数千円です。

 

ファミレスでだって外食したら1度で飛んで行ってしまう程度の額。

 

私は人生で何度か、本当にお金に困った時期があって、その時500円って言ったら数日分の生活費で、今思うと随分コスパのいい使い方をしていたなと思うんです。

 

今、私が月に一度外食するのを我慢したら、世界のどこかで一人の人間の人生が変わるとしたら、そんなコスパのいい...もとい ^^;... 充実したお金の使い方はないなと。

 

もしも、もう一人授かっていて、ふたり子育てするよりも、ラクチンで、安上がりで、日本と全く違う場所で育つ子供の成長を見守ることができて... いいとこどりなんです^^

 

つづく...