- 沢木 耕太郎
- 杯(カップ)―緑の海へ
地元開催だった2002年日韓ワールドカップには、日頃サッカーに触れることが無かった人も、多くの思いを残したことだろう。
幸運にも、私も地元大分での開催であったため、ワールドカップの生での観戦を2試合もすることができた。開催国の人との交流は無かったが、ワールドカップという大きなイベントに観客として参加できたのは、いい思い出になったことは間違いない。
この大きなイベントに、ノンフィクション作家として参加した沢木の心を揺さぶったことなんだろうか。
沢木は、日本の対応をぶりを批判的に書いている。特に大分の印象は悪かったようである。
でもそうだろうか。私が同じバスに乗り合わせた若者たち。彼らは、日本代表を追いかけるのではなく、各会場でワールドカップそのものを楽しむフリークだった。彼らの印象は、日本の他の会場に比べると、大分に好印象だった。やはり、ワールドカップのチケットを海外で購入して、何箇所も見て回っていた親戚のM君も同じ意見だった。ノンフィクションって、ある意味では、あまりにこ個人的過ぎるんだなあと感じた。
いわゆる”マスコミ”系って、割と単純なんだなあと思う。自分にとって親切にしてくれた人がいれば、○。そうでなければ、×。でも、よく考えれば、同じの日本の旅行者に、普通どれだけ親切にするだろうか。単純に比較しても、多分そんなことをすれば、なんかあつかましいと思うだろうし、先ず私ならそんな親切は迷惑に思うだろう。海外で困っている日本人がいても、そう簡単に手助けするのは、失礼だし、しない方がいいだろう。
なんて、思いながらも、沢木の朝日新聞の記事を以前目を通したことがあったため、この本の内容には、そんなに斬新さは感じなかった。むしろ、ジャーナリストの”あつかましさ”だけが目に付いてしまった。それくらいでなければ、ジャーナリストになれないということだろうか。