昨日、たまたま舟橋北町を車で通った際、越中富山は神通川船橋として、その昔、この地を照らしたという常夜燈があるのを思い出し、久しぶりに眺めてみました。
 
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船橋は神通川に舟64艘を浮かべ、太い綱で繋ぎ、その上を6~7枚の板を敷き、人馬を通らせていたもので、日本一の船橋として他国にも知られていたそうですが、これができた当時は板が3~4枚の幅しかなかったそうで、橋を渡るのにも運動神経、平衡感覚等、いわゆるセンスが必要だったのでははないか思いながら、当時に思いを馳せるのでした。(^.^)
 
1882年12月(明治15年、この船橋に代わる幅7.2m、長さ228.6mの木製の神通橋が完成したということなので、この写真は当然、それ以前のものだと思われ、数年前に今は残念ながら閉店されたましたが、この場所の斜め向かいにあった青山というお蕎麦屋さんの店の壁面に掛けられていたものです。
 
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この常夜燈は寛政11年(1799)に、町年寄の内山権左衛門さんが、船橋の両岸に寄進され通行人の安全を見守ったと言われるものです。約200mくらい離れたところにもう1基建っています。
 
寄進者の町年寄は、富山市の現地説明書によれば権左衛門と書かれていますが、富山市の博物館の文献には権右衛門ともあるので、寛政年間の書物等があれば調べてはっきりさせた方が良いと思うのですが・・・・(^.^)
 
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常夜燈の火袋石の部分が欠けているのは昭和20年(1945)8月2日未明の富山大空襲で焼夷弾が当たったためだそうです
 
当時の船橋というものを、渡ってみたかったと思いながらこの場を後にしたのでした。
  
 
 
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