小学6年生まで、私は一重瞼だった。両親も姉もくっきりとした二重瞼なのに、自分だけ違うことがとても嫌だった。父はテレビマンだったこともあってカメラが好きだったから、幼い頃から私たち姉妹の写真を大量に撮っていた。でも、成長する中で自分の容姿を嫌いになり、写真を見ることも嫌いになっていった。


寝起きや、目をごしごし擦ると二重になることもあった。でも数分で一重に戻ってしまう。当時はアイプチなんかも無かったから、諦めるしかなかった。

ところが小学6年生になると、何をしても数分で二重から一重になっていたのに、段々と時間が延びていった。片目だけ二重になることもあって、でも期待はしなかった。

小学校の卒業式の朝。起きると二重瞼になっていた。寝起きだけだと思い、でもせっかくの卒業式だから少し長く持ってくれるといいな、くらいに思っていた。ところがどうだろう、その日から何日経っても一重に戻らなかった。毎日家族のことで辛いのを耐えていたから、きっと神様がご褒美をくれたんだと思うしかなかった。


それでも、自分の容姿に自信を持てずにいた。理由は、姉に貶され続けていたことと、視力が著しく悪かったことだ。眼鏡を毎日かけていたけれど、外すと素顔なんてとても見えなかった。鏡に限界まで近づくと、目元だけ見えた。姉に「ぶす」と言われたあとは、こっそりそうやって目元を見て、「そんなに悪くないと思うよ」と自分に声を掛けた。


高校に入る時は、実はとても怖かった。姉の言う通りの容姿なら、もしかしたらイジメにあうかもしれない。友だちもできないかもしれない。中学3年生のときに母がコンタクトレンズを買ってくれていたから、自分の素顔は分かっていた。でも、自信には繋がらなかった。

結論を言えば、高校生活はとても楽しかった。皆優しくしてくれて、友だちになってくれた。クラス内に軽口をたたける子も数人いて、部活も厳しすぎず仲間もできた。恋愛もした。そして、これは良くないことだけれど、当時飲み始めた精神科の薬の影響で8キロ痩せた。胃腸に副作用が強く出てしまい、嘔吐と下痢を繰り返したのだ。酷い目にあったけれど、痩せたことで容姿に少し自信がついた。洋服も本当は可愛い服を着たかったけれど、ずっと似合わないと信じて着なかった。でも、痩せるとようやく勇気が出て、少し甘めのデザインの服をしまむらで母に買ってもらった。嬉しかった。可愛い服を着て良いのだと思えて、何よりその頃は姉は離れて暮らしていたから、「似合わない」と貶される心配もしなくて良かった。


最近、帰省したときに幼い頃の写真を見返した。あんなに見ることが嫌だった、一重瞼の自分。不思議だった。こんなに嬉しそうに笑う、可愛い子どもじゃないか。目は確かに細めだけれど、楽しそうにニコニコしていて、おどけた表情がとても可愛い。

悲しいのか、安心したのか分からない。とにかく、複雑だった。でもあの頃、よく見えない自分の顔に向かって「そんなに悪くないよ」と声を掛け続けた私は、誇らしいと思いたい。だから、いつだって過去の私を、抱きしめてあげたくなるのだ。