『久しぶり!今度池袋で集まろうと思って皆に声掛けてるんだけど、直輝来れる?実は栞が結婚するらしくて、お祝いしたくてさ』

久しく連絡を取っていなかった中学の同級生からのメッセージだ。6月の暑い日、久々の晴れ間。街中でスマホの画面を見て、僕は束の間立ち尽くした。
ーーー栞が、結婚する。
通りすがる人が1人、僕の肩にぶつかった。我に返って、すみませんと呟いてスマホをポケットに滑り込ませた。行かない、とは言わないであろう自分に呆れてしまう。誰かと結婚するとしても、大人になった栞に一目会いたいと思った。

栞は小学校からの同級生だ。小学2年生までは隣のクラスだったが、可愛らしかったので友だちと一緒に廊下でのすれ違いざまにからかってしまった。顔を赤くして反論する栞が可愛くて何度もやってしまったのを覚えている。3年生で同じクラスになれた時は、内心嬉しかった。でも今さら優しくは出来なくて、僕がからかってはケンカをする仲になってしまった。
でも、4年生になってすぐに、僕の両親の都合で2年ほどアメリカに行くことになった。僕は当然寂しくて不安で、そのせいか栞にお別れも言えなかった。日本の小学校最後の登校日、何も言えないままあっという間に下校時間になった。僕はスクールバスで通学していて、バスの時間が決まっていたから少し残ったりも出来ない。為す術なくバスに乗り、発車したバスの窓から必死に栞の姿を探した。校門を出てすぐの通りに、栞の後ろ姿が見えた。女の子たちは皆赤いランドセルだった時代だけど、栞だけピンクがかった赤だったから、すぐに分かった。バスが栞を追い越していく。栞はふとバスの方を見てくれた。じっと見つめてから、手を振ってくれた。僕は目がじんと熱くなったけれど、泣くものかと食いしばった。あの手は僕に振ってくれたのだったらいいなと思った。

それから2年後、僕は家族と日本に帰ってきた。アメリカで日常会話を問題なくできる英語を身に付けていたから、中学でも安心ねと母さんは嬉しそうだった。進学先の公立中学校は、栞も入学すると同級生から聞いていて、僕はそわそわと落ち着けないでいた。どんな子になっているだろう、可愛いのに強気でお転婆だったのはそのままだろうか。栞に会える楽しみと、久しぶりに会う面々への不安。入学式の前の日はよく眠れなかった記憶がある。
再会した栞は、少しおしとやかになっているように見えた。中学生にもなったから当たり前だと思ったが、前のようにケンカをしてくれないだろうと思うと寂しかった。でも、初めての中間テストの結果が出た日、急に栞が僕に話しかけたのだ。テストで学年何位だったか、という話題だった。僕は自分で言うのも何だが勉強が得意で、順位は1位だった。それを答えると栞はくやしそうに唸り、「直輝に負けるなんてくやしい」と笑った。そのいたずらっぽい笑顔を見ると、栞はやっぱり栞だと思い安心する自分がいた。そしてそこから、テストの度に栞と毎回順位を競い合うようになった。
栞は活発なところは変わっていなくて、文化祭や体育祭、音楽コンクールではいつでも主役だった。当然男子生徒から密かに人気があった。でも密かに、というのには理由がある。1年生の1学期最終日、栞に彼氏という存在ができたのだ。その彼氏の手前、男子生徒たちはこっそり好意を抱くしかなかった。そしてその彼氏は、残念ながら僕では無い。僕がアメリカに行っている間に、栞には好きな人ができていた。想い続けた栞は、中学に上がって初めての夏休みを迎える前に、勇気を振り絞って告白していたらしい。
完全に出る幕がなかった僕は、その事実を知った時に初めて自分の想いに気付いた有様だ。その彼氏に適うわけも、この恋が叶うわけもなかった。僕と栞の繋がりは、テストの順位争いだけになってしまった。でも繋がりがあるだけ、他の男子生徒よりマシかもしれないと自分を慰めるのだった。
高校受験を控え、志望校を決めた僕は、両親の説得をしていた。特に反対しているのは母さんだ。僕の成績なら、もっと偏差値の高い高校を狙えると不満いっぱいなのだ。でも僕は、栞と同じ高校に行きたかった。不純な動機なのは分かっていても、曲げられなかった。ただそのまま言えば反対されるのは当たり前だ。だから、野球の強豪校だからと押し切った。実は野球は小学校から真剣に続けていて、栞と近くにいられて野球もできる高校なんて僕には最高の環境でしかなかった。最終的に母さんを納得させ、僕はその公立高校へ進学したのだった。

高校に入学した栞は、さらに可愛くなっていった。偶然同じクラスになれた僕は、その変化に感心すらしていた。そして、いつしか自分には手の届かない存在だと思うようになっていった。高嶺の花って、小説の中だけじゃなくてこんなに身近にいるんだなと他人事のように考えていた。
ある日、放課後の教室で何人かの友だちとふざけたり喋ったりしていると、恋愛の話題になった。その間僕は発言しなかったのに、ふと栞が僕に聞いた。
「直輝は好きな人いないの?」
僕はあまりに急な状況に、慌てふためいてしまった。「いない!いるわけないだろ!」と顔を真っ赤にしてしまったのだ。栞は一瞬きょとんとして、その後すぐに笑いながら「真っ赤になるって怪しいなあ」とからかってきた。話題はすぐに変わったけれど、僕は内心焦っていた。栞を好きだって、皆に分かってしまったかもしれない。
だけど、何日過ぎても自分を取り巻く環境は何の変化もなかった。その内に僕は理解していた。例え皆に気持ちがばれてしまったとしても、何の関係もないのだと。栞には今でも彼氏がいて、僕の入る隙はないのだから。その時、この恋を諦めるという発想が初めて頭をもたげてきた。第一、高校に入ってからは栞は僕とテストの点数を張り合うのを止めてしまった。ただの腐れ縁の同級生としか思っていないにちがいない。その日から僕は、一層勉強にのめり込むようになった。どうせ大学受験も来年に控えているから、これは当然のことだと言い聞かせていた。

あれから大学に進学して、栞に会う機会はまったく無くなった。成人式では会場の遠くに見えただけで、クラス会にも何度か参加したものの、栞は来ていなかった。同級生の話しで、栞が大学を辞めたと聞いた。何かあったのだろうかと心配にもなったが、連絡先すら知らない自分にできることは無いと我に返った。
それから就職して、学生時代の繋がりはどんどん希薄になっていた。でも恋愛の話題はどこに行ってもあるもので、誰と誰が付き合ったとか別れたとか、結婚したとかいう話を何度も聞いた。だけどそういう話に、僕が登場することはなかった。長く1人のひとを好きだったせいか、人を好きになるのはどうやるのか、なんて小難しく考え出していたのだ。

そんな矢先の、栞の結婚祝いの会をする、という連絡。一目会って、今度こそ新しい恋愛をする、なんて願掛けめいたことを考えた。僕は参加すると返信をした。

水曜日の夜7時が集合時間だった。皆の都合を擦り合わせて、この日になった。居酒屋に着くと、予約してあった個室に案内される。心臓がうるさい。今さらなんだよと自分に内心叱りつけたかった。
もう皆集まっていて、久しぶりと軽く挨拶して顔を見渡した。ーーー栞だ。もう僕らは27歳、でも栞はほとんど変わらないように見えた。でも、化粧をしているのが分かって少しドキリとする。
「栞の旦那さんてどんな人なの?」
無邪気に問いかける声に、はっとした。そうだよ、栞は結婚するんだぞ。見つめていいわけがないだろう。照れくさそうに質問に答える栞を見て、僕は少しの未練に気付いた。でも、彼女の幸せをちゃんと願うことができる。それでいいんだ。僕は一度も気持ちを伝えなかった、でもだからこうしてこの場に呼んでもらえて、祝うこともできるんだ。

幹事が会計している間、皆で6月の少し湿った夜風に当たる。気持ちよさそうに風に当たる栞と目が合った。彼女は照れくさそうに、無邪気な笑顔を見せてくれた。
ーーーさよなら、栞。僕は小学校からずっと、君がいて楽しかったよ。

友だちでいられることに、嬉し涙が滲んだのは酔っているせいだと思う。