こんばんは。

つらくて苦しくてどうにもならないので、吐き出させてください。


姉と半ば縁を切りました。もう限界だったからです。SNSをブロックし、ただ電話だけは着信拒否しませんでした。全て断つのは恐くて出来ませんでした。

ブロックする決心がついたのは、10日ほど前の出来事がきっかけです。その経緯も簡単に書きます。

姉があること(詳細は伏せます)で困っていて、助けを求められました。私は体調も悪かったけれど、放っておけなかったので各方面へ朝から電話をかけ必要な依頼をしました。そして私の方の依頼が済んだ事を姉に連絡しましたが、姉が自分で対処していた事が1つだけ不可抗力で上手く進みませんでした。姉はメッセージの文面だけで分かるほど不機嫌になり、励ました私に一言暴言を送りました。そんなにすごく酷い言葉ではありません。でも、私の中で何かがぷつりと切れてしまいました。私は絶縁の意志をメッセージで送り、そのまま姉との連絡手段のSNSをブロックしました。

その日は罪悪感や悲しみや虚しさが押し寄せ、夜も苦しくて堪らず、眠っては目覚めを繰り返しました。姉だってつらいはずなのに私は見限ってしまった、母の遺影に合わせる顔がない。私にとって姉との連絡はこの1年つらくて苦しくて、前は仲良く楽しく話せたのにどうしてこうなってしまったのか。幸せな記憶の分、現状が苦しくて堪らなかったです。

それなのに次の朝、目覚めると苦しさが少し楽になっていました。理由は分かりません。何か脳の回路が焼き切れてしまったのかと不安になるほどの変化でした。そしてインターネットでふいに見掛けた言葉で、さらに気持ちに変化が起こりました。

「不機嫌になることで、相手をコントロールしようとする人がいます」

まさしく姉のことだと思いました。これはこの1年の姉に限らず、記憶にある限りずっとそうでした。私と母はその不機嫌を敏感に感じ取り、気を遣ってきました。それが姉のその習慣を助長していたのだと分かり、衝撃を受けました。

その事に気付くと、姉が私にしてきたことを次々に思い出しました。美人な姉は保育園に通うような頃から私の容姿を陥れ、それを信じた私は姉と離れて暮らすまで男の子の服装をしてきたこと。思春期の頃は髪を掴み引きずられ、暴力を受けたこと。大人になってから仲良くしているつもりだったけれど、私の話はほとんど聞かず、私の好きな物の話は「つまらない、興味が無い」と言って遮られたこと。

虚しくてたまりませんでした。どうして、そんな人を大切に思ってきたのだろう。家族だから、たった1人の姉だから、その思いでこれまで耐えてしまったのは、何だったのだろう。

その時点で連絡手段を断った罪悪感は消えてしまいました。姉も苦しい思いをしてきたのは分かっていて、ある意味では誰かの被害者です。でもだからと言って、私が姉の犠牲になるべきではないと思いました。


気付いてから数日は穏やかな気持ちで過ごせました。その一方でやはり姉が精神的不調の原因だったのだと思い、複雑ではありました。

それではなぜ今苦しいのかというと、姉に関わる出来事が起こると、あっという間に恐怖に陥るからです。今日、姉が絶縁する少し前に送ってきた物を返品したのですが、商品を受け取るドライバーさんが2回やって来ました。勘違いか何かの手違いで来たようですが、私はこれで返品が上手くいかなかったら、姉から何らかの手段で連絡が来てしまうかもしれないと思いました。そう思った瞬間、恐くてたまらなくなり、その後は家事や息子と遊ぶことなど、何一つ出来なくなってしまいました。

こんな些細な事で恐怖し、何も手につかなくなるのなら、休職をいつ終えることができるのか、家族に負担や迷惑を掛けなくなるのはいつなのか、途方に暮れてしまいます。


恨まない、恨みたくないと思って生きてきましたが、今回はさすがに無理がありました...。少しの間だけその感情に振り回されたら、気持ちを切り替えたいものです。


愚痴愚痴と長く書いてしまいました。ここまで読んでくださりありがとうございます。

おやすみなさい。