カテゴライズ | 鈴の音

カテゴライズ

知的障害者のグループホームの寮母になりしばらくたった頃、入居者の1人がヒステリーを起こしてた。


もちろんここで暮らす事を決めた時に、ある程度の覚悟を持っていたし、想定内の出来事であった。でも、人生で初めて受けた暴言にあまりにもショックを受けてしまった。自分でもビックリするほど落ち込んで、恐怖心に襲われた。


どう接したら良かったのか?

私の言い方が良くなかったのか?

障害があるせいなのか?


あくまでも軽度の方しかいないので、普段は十分意思の疎通が出来る。でも、私は対処出来なかった。対処出来ない自分にもガッカリしたし、正解がわからない。動揺がおさまらず、ずっと知的障害についてネットで調べた。調べても調べても何も答えは出なかった。正解がわからない。スマホを投げつけたくなった(笑)


知的障害というカテゴリーで括っても答えは出ない。それが私から出た答え。どうしても我々はカテゴライズしてその人を見定めようとしてしまう。私は貼り付けられたカテゴリーではなく、もっとその人のパーソナリティと向き合わなければならなかった。当たり前の事なのにわかってなかった。仲良くなりたいって思ってここに来たのに、、、、自分の思うようにならなかったら、カテゴライズして見下すのか!!

人はフラットでいる事は本当に難しいって思う。

少なくとも私はカテゴライズで人を見下す事に嫌悪をしているし、自分はしたくないと思っていた。なのに、人をカテゴライズして計ろうとしていた。


今、こういった問題が浮き彫りになり、おっさん達が吊し上げられているのをニュースでよく見る。でも、人を責めてる場合ではないね。私の中にも自分を守る為に、正当化する為に、又は優位に立ちたいが為に、不躾な考えになる。


私の大きな学びとなり、腹を括るきっかけとなった。「人として向き合う。それでもダメな時は、出て行っても良いよ」って自分に言った。

諦めずに頑張りたいって思ったからこその自分なりの落とし所。

自分1人で抱え込まないで、助けを呼ぶ余裕を持っていこうって、自分に言い聞かせた。

それは甘えではなく、ここでやっていくという前向きな私なりの予防線。継続する上で自分を追い込んでは行けないから。「いつでも辞めていい」って言うのは投げやりな気持ちではなく、最善を尽くす為の、安全ネットなのだ。


喧嘩したり、怒ったりする事は、本当にエネルギー使う。でも、信頼を築く為には、その人と本気で向き合う必要がある。


日々、ブーブー言いながらも、今日も朝ごはんを作り、「いってらっしゃい」で送り出す。
私のご飯よりもコンビニのパンが美味しいと言われても、「ふざけんなよ!」と思いビール飲んで明日も朝食を作るのだ!
ヨガでの学びが私を支えているが、今はヨガの学びは、マットの外にある。