悠生君(中3)
おぼろ月夜の主題による幻想曲(轟千尋)
幻想即興曲(ショパン)
どちらの曲も、一定レベル以上の演奏でなければ曲になりません。
難曲に挑戦しました!
とても難しかったけど精一杯練習しました!
だけでは通用しない曲。
この曲だけを猛練習!…そんな付け焼き刃も効かない。
習い始めた時から豊富な練習量で築き上げた強固な基礎の土台、音楽的な理解力、俯瞰力、そして深い心の成長…これらすべてが必要なこのニ曲は、君にとっての大きな集大成になりました。
二曲とも、舞台袖でのアドバイスは「レッスン室で弾く時と同じ気持ちで弾くこと。」
舞台を過剰に意識せず、平常心で集中するという意味です。
そして、心の準備がきちんとできてから弾き始めること。
時間は気にせず、これもレッスンの時と同じように充分時間をとって、心身ともに今!という時に弾く。
おぼろ月夜…は細部まで徹底的に自分のものにした隙のない見事な演奏で、この曲の素晴らしさを余すところなく披露してくれました。
あまり耳にする機会のない曲ですが、聴いてくださった皆さんの心にしっかりと残ったことと思います。
そしてもうひとつ。
この演奏を活かしたのはフレーズや主題の間のブレス(音楽的呼吸)、リタルダンドやアチェルランドといった緩急の、正確かつ絶妙なタイミングです。
今回の発表会では、この音楽的なタイミング、呼吸感を定着させることができなかった演奏が頻発しました。
年齢やセンスの有無で片付けず、レベルに伴う基礎能力として全員に厳しく細やかにレッスンしましたが、これを充分に咀嚼しきれなかったのはやはり練習の詰めの甘さ、残念なことでした。
悠生君のこの演奏を録画した人は、この点を意識してもう一度よく聴き、ぜひ今後の参考にしてください。
音符ばかりを追う演奏から、時間芸術としての演奏へとしっかり歩を進めていきましょう。
幻想即興曲は、広く知られたショパンの名曲です。
ピアノガール、ピアノボーイたちの憧れナンバーワンの曲。
でも実際に目の前で演奏を見て、どれほど練習しなくてはならないかがわかったかもしれませんね。
まずは華やかなアレグロの高速弾き。
ここは左手3分割、右手4分割で、ただ指が速く回るだけではダメ、この複雑な拍合わせをなめらかに弾きこなすのがまず第一の関門です。
ソルフェージュ抜群の悠生君も、さまざまな練習方法で念入りに仕上げました。
ショパンの真骨頂、美しく叙情的な中間部を挟んで再び現れるこの主題は、今度はプレスト。
提示部以上の速さで情熱的に弾き上げなくてはなりません。
どうしても息切れしてミスが出やすいし、
何よりこの速さの中でフォルテとピアノのコントラストを繰り出していくところはとても難しく、隠れた難所です。
これも悠生君らしい集中力でオニ練を粘り強く耐えてクリア。
続く長いピアニシモも手の内側を引き締めて拍割れさせずに制して左のメロディを際立たせ、ラストの美しいアルペジオのカデンツも心から奏で上げて、演奏を閉じることができました。
けれども、この曲の要はなんといっても先に少し触れた中間部です。
華やかで派手なテクニックばかりに耳目を奪われがちですが、この最もショパンらしい叙情詩を心技両面から歌い上げてこその曲なのです。
ここを退屈と感じるかどうかは聴き手の精神年齢にもよりますが、何より弾き手の力量にかかっています。
ここを聴き入らせることができるかどうか。
どんなに指が回っても、この表現力が育っていないうちは、この曲は渡しません。
実は悠生君、以前ブログの「海の青を見つめたら…」に書いたように、この叙情的な表現がとてもとても苦手でした。
身体的テクニックが優れている子にありがちな課題点ですが、
悠生君がこの深い内的表現力を得ることはやはり難しいかな…だとしたら、
この先は手先だけのテクニック頼みになって、ピアノの世界はどんどん狭く小さくなって、やがて枯れてしまう…
レベルが上がるにつれて、こんな複雑な気持ちでレッスンしていました。
ところが転機はやって来ました。
それは彼が全く望まない形ではありましたが…。
元気いっぱいに入学した中学で、待っていたのは思いがけない心の試練。
誰よりも活発で明るいけれど、実は人との関係に人一倍繊細で感受性が強い彼は、同じ環境にある同級生たちのように軽く受け流す、かわすことができずに心に重くのしかかり、発表会が終わった秋頃には、とうとう身体を壊すまでになってしまいました。
勉強もトップ、スポーツもトップ、ピアノもトップ。
そろばんも、漢検も、けん玉だって…
ずば抜けた頭の良さに高い集中力と負けず嫌いを備えて、やることなすこと全部がトップ。
そんな彼が初めて味わう、思い通りにならない状況と、対処できない自分…。
すべてにブレーキがかかってしまいました。
ピアノは全く弾けず弾かず、風前の灯に。
この状況にお母様も先生も、ピアノが負担になっているの?無理に続けなくてもいいのよ、やめてもいいのよ、と言うと、
やめない。続ける。という返事。
先生にはこれが「やめたらお母さんをがっかりさせる、先生を失望させる」という気持ちが言わせているのではないかと、とても心配でした。
それを何度確認しても同じ答なので、
月に一回でも二回でも来られる時に来るフリーレッスンの形にしました。
そのレッスンも心身のブレーキがかかって直前にお休み、が続いたり。
幸いというべきか、同じ年頃に同じ状態になった経験のあるお母様と先生は、彼の状態が全くわからないという訳ではなく、何度も秘密面談を重ねて、お家での様子、レッスンでの様子、今後のことなどを細かく情報交換しました。
そしてお母様と先生の最終結論として、
教室でみんなの目標、お手本でいてくれた彼を、
悠生くん、どうしたの?え?やめちゃったの!?
で終わらせないようにしましょう、どんな形であれ、けじめをつけてピアノを卒業させてあげましょう、と決めました。
とはいうものの、5キロも痩せて、青ざめた顔でよろめくようにレッスンにやって来る彼には、変わらない態度で迎えながらも、本当にこちらの心が斬られるように痛みました。
レッスンも途中で胃の痛みで中断、も何度もありました。
静かに経験を話して聞かせ、何か聞きたいことがある?と言うと、苦しそうに、
「これがいつ治るのか知りたい…」
しんどくなった時は、軽く胸の中心をとんとんと叩きながら(タッピング)、
来たきた、大丈夫、そのうちなおるなおる…
と心でおまじないを唱えるんだよ。
これは必ず効く特効薬だからね。
をすがりつくように聞いて…。
この時期、先生が君に一番強く伝えたかったこと、何度も何度も話したこと、それは、
誰かの期待に応えられない自分はダメな人間だ、と思ってはいけない、ということでした。
何をやってもどんな場でも一番の彼は、
常に周囲から、君ならできる、君ならできると言われ続けてきたと思います。
そしてそれに充分応えてきた。
だからこそ、人の評価に依らない自分を持ってほしい、自分への本当の自己評価を誤らないでほしいと、心の底から伝えたかった。
君にとってこの時レッスンを続けることは本当に苦しかったと思います。
練習せずにレッスンに来たことなんて一度もない。
練習できていない自分を出さなくてはならないことが耐えられない…
「練習していなくてもレッスンに行くこと」は、良い時の自分も、思い通りにならない時の自分も、同じ大切な自分として受け入れるための練習でした。
けれどもこの苦しい「練習」には、常に救いがありました。
それは彼の努力でもなく、先生の指導でもなく、
ピアノの力でした。
真っ青な苦しい顔でピアノに向かい、ぽつぽつと楽譜を、音を追っていくうちに、いつのまにか集中し、頬には赤みがさして眼は輝き…レッスンの終わりには必ず笑顔が生まれました。
先生自身、この時ほどピアノの力を感じたことはなかったと思います。
こうしていつ消えてもおかしくないかそけき灯をなんとか守りながら時は過ぎ、環境も変わって、少しずつ回復の兆しが見えて来ました。
翌年の夏の発表会は、明るく楽しい雰囲気が助けになることを願って湯山昭先生の「お菓子の世界」のフィナーレ「お菓子の行進曲」を弾くことに決めました。
ところがこの中でプチ女子部のあいちゃんが弾いた「プリン」の主題のリズムがなぜかうまく弾けないと。
あらまあ、こんなの簡単よ、こんな風に歌いながら弾けばいいのよ、
プリ〜ン♪プリ〜ン♪プリ〜ン♪プリ〜ン♪
プリ〜ン♪プリ〜ン♪プリンプリンプリン♪…
先生は大真面目に歌い弾きながら、
君はそれを大真面目に聴きながら…
耐え切れずに2人同時に大笑い
久しぶりに君のはじける笑い声を聞いて、本当にうれしかった。
でもこの年の発表会は部活の試合で出られなくなりました。
これがわかった時点で曲はまだ半分程度しか仕上げられていなかったので、目標をなくしたら意欲も落ちるだろうと思い、これはもう中断してもいいよと言うと、最後まで仕上げる。ときっぱり即答。
まだまだ心身本調子からは程遠く、練習も不安定でしたが、強く心に残ったのは難所の処理です。
ここは難しいから時間がかかるよ。まあ今はぼちぼちかじっていこう…と言ったその次のレッスンではビシッと弾きこなして来るのには心底感心しました。
ちなみにこれは一番苦しかったフリーレッスンの時も同じでした。
こうして苦しい夜もやがて明け、彼はすっかり回復しました。
以前と変わらない冗談とおしゃべり、
当意即妙のダジャレの連発で先生を唖然とさせては大騒ぎ…!
でも君は確実に大人になった。
態度は落ち着き、心は広く、深くなった。
何よりそれは君のピアノが伝えてくれました。
幻想即興曲は君がベートーヴェンの悲愴の後に弾きたかった曲。
小学6年生、子供らしい自信で、きっと次はこれだよね!と言っていた曲。
でも、君にこれはまだ渡せないと言われた曲…。
中間部を充分に感じとり、歌い切ること。
それがこの挑戦の大きなミッションでした。
君はそれを見事に果たしたね。
君はまさにこの曲と共に、大きく強く成長してくれました。
この曲を受け取ってからも実はまた別な試練、
同じようにどうにもならない試練がありました。
レッスンで涙をポロポロこぼして、初めて声をあげて泣きじゃくったことも。
でもそれも曲への情熱で乗り越えた。
レッスンを重ねるたびに、グランドピアノの響きの飛沫を浴びながら曲と一体になる君の姿を見て、先生はピアノが私達に与えるギフトをしみじみと噛み締めていました。
会が近づいた4月、発表会後のレッスンをどうするか考えて答えるようにと伝えました。
まだ何にも考えてない…。
これがその時の小さな返事でした。
教室で定めた受験期レッスンの続け方を説明されて、わかった、と。
この中3の発表会、先生は幻想即興曲が君のけじめ、卒業になると想定して楽譜を渡しました。
兄弟連弾も今年が最後になると思い、
いつかきっと…とお母さまと話したことのある万歳!大ギャロップを、
ベートーヴェンの悲愴をソロで弾く弟のはるき君には過大な負担になるとはっきりわかりながらも決めました。
はるき君は本当に本当によくやってくれました。
彼についてはまたページを改めて書きましょう。
会の直前の最後のレッスンでは、自分の言葉でこれからを先生に伝えなくてはなりません。
どうしますか?と聞かれて、その返事は
てへ…
ふむ。
もし続けるなら、この曲をやってみる?
と出してあげた楽譜はオールショパン。
演奏動画を見て、楽譜を追って、これはこんな曲、これは…と先生の話を聞いて、
これ、太鼓の達人にある←このゲームの達人
これ、うちにある名曲集の楽譜に入ってる
でも君が知らない曲もあった。
それは素晴らしい曲、教室の誰も知らない、ハイレベルな曲。
これは受験期には無理だ、弾くなら高2の会がいいねと言われたり。
どうする?と聞かれて迷って絞りきれず、
2曲取りました。
高2の会のことは考えなくてもいいよ。
この秋にはどうするか、冬はどうなるか…?
今日から先のことは考えなくていい。
なぜって、ピアノと自分をつなぐ糸は、
いつも今、この時の情熱だから。
だから今手の中にある曲と、その時々につながっていられる方法を柔軟に考えていく。
明日のことは考えない。
いつもみんなに言うね、ピアノとの糸は明日には切れるかもしれない細い糸だと。
だけどそれが鋼の糸になるように、
先生はそう思ってレッスンしています。
おぼろ月夜…を弾いて舞台袖に帰って来た君の顔は、自分への謙虚な自信と確信、やり切った達成感で輝いていました。
幻想即興曲は?
大事にしていた中間部、一瞬の気の緩み?でまさかのプチ迷走!
ミスった〜!と悔しさで苦笑い。
おやおや、それは良いこと!
反省点があるほどいいことはないんだよ。
特にこのレベルからの曲はね。
これからも君の成長を見続けられることを、
何よりうれしく思っています。
ショパンが君を見守っているよ。
受験期、うまくピアノを気分転換にしながら、
楽しく完成させられますように。
最後にお母さまへ。
拙い指導、時に的外れな助言や提案を、
常にお心広く受け止めてくださり、
言葉にできないほど感謝しております。
「自動更新はされない師弟関係」を肝に銘じ、
彼の成長の妨げにならないように自分を戒めながら、ピアノ指導に全力を尽くしてまいります。
これからもなにとぞ変わらぬお見守りをよろしくお願いいたします。