2011年3月11日の東日本大震災より1年。お亡くなりになられた方々に哀悼の意をささげますとともに、
被災された皆様、いまだ避難を余儀なくされている皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。
2011年3月11日 14;46分
あの時私は、来客用にお茶を煎れていた。
大きなゆれというより、めまいかと思いました。
女子社員のキャーーーーッという悲鳴。
そして、一応お茶をだすものの、すぐさま席に戻り、夫に電話したのを覚えています。
スゴイだよ!大丈夫、お母さんに電話したいから、またね!ときり、
それ以降翌日の昼過ぎまで夫と電話がつながらず、寝れないで居ました。
ソフトバンクでなく、WILLCOMの携帯でつながる。
そして見る見るうちに、株価が大幅下落。
クイックで平均株価が8000円台に落ちてしまったのをみて、揺れてるさなか速攻売るなんて、
なんかおかしい??そして逆にゼネコン、建設株がS高になるのを怪しいと感じながら株価を見つめていました。
帰り道はいつもどおりで、渋滞もなく帰れた。なんとなくガソリンは満タンにしておいた。
そして、つくばーさいたまー八王子を経て湘南へ夫が来て、
その後、
原発がやばくなり、ガソリンも売り切れてないので、
一週間、会社を休ませて、こちらですごした。
子供のパスポートがあいにく切れていて、
17日、タイに逃げようと思って東京のタイ大使館にあわてて行くも、
被災した方への発給が優先で、子供のパスポートがもらえず、
山下町でパスポートを作り、1週間は待つ・・・・放射能の恐怖、日本を出れない悲しみ、被曝の後悔、停電と、相当精神的に参りました。
ものすごい煙というか、砂埃というか、恐ろしい空気の中出かけてしまったことを後悔している。
なんでテレビを見続けて枝野を信じた後悔。
名古屋方面に車で逃げなかったんだろうという後悔。
あのときの砂埃は今でも恐怖でいっぱいです。
車から東京方面を見るとグレーの空。神奈川に入っても、グレーな空と、ほこりっぽい空気。
マスクはしてたはず。。。
堀じゅんさんのツイートで目張りなんてかいてあったので、
3・12の爆発前に目張りをしました。
あの数日の過ごし方で、寿命が違っているはずと感じている。
後悔だけが残る。
震災と原発事故、絡み合って、復興には時間がかかる
一日も早い復興を祈りつつ、前をむいて、頑張りたいと思いました。
しかし、放射能には勝てないと感じています。
この一年胸に秘めてきたことが、ようやく実現できそうです。
子供もパパとは離れてつらいのに頑張っている。
これもあと少しの辛抱。
あちらに行ったら、(移住)悩んでいる人の手助けになるようなことをしたいと考えています。
ちょんぷう