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2025年4月。

母は84歳になりました。

アルツハイマー型認知症と診断されてから、

10年ほどです。

 

2020年4月。

世間が緊急事態宣言になったころ、

母のマンションの大掃除を娘と着手しました。

部屋の中は、汚部屋化しておりました。

その頃は母、まだ独り暮らしで、

デイサービスに週三日ほど行ってくれていました。

 

2022年8月。

母がコロナ感染したことをきっかけに、

それまで、毎日、通っていた生活から、

同居の形をとる事にしました。

同居が出来るまでに、

ようやく母の家が片付けられた状態でした。

 

それから、約2年、同居生活を続けましたが、

母の状態に合わせて介護施設の利用も増え、

このままでは、二人で暮らしていけないと

判断し、

母のマンションを売却することを決断。

 

2024年11月25日。

母は老健に入所しました。

そして3か月の老健生活を経て、

 

2025年3月3日。

母はグループホームに入所しました。

今までお世話になったどの施設よりも、

近い場所にそれはあります。

 

私の自宅から、車で3分ほどのところです。

母のマンションに行くよりも近くなりました。

 

今は、母のところにおやつを持って行って、

部屋で一緒に食べて、

歯磨きをして、

散歩に行って、帰る

という生活をしています。

 

 

 

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2025年5月10日(土)

 

今日は久しぶりにバイオリンのレッスンに行きました。

 

本来、月2のレッスンのところを、月1にしてもらっているにも関わらず、その月1でさえ、レッスンが難しくなっている今日この頃です。

 

しかしやはり、バイオリンの音色は気持ちよく、たまにだけれど、その細々と続けて行きたいと思います。

 

さて、昼から、母のマンションの片付けに精を出すはずが、結局のところ、いつもの時間に母のところに行き、今日は、穏やかと長い時間母と過ごせました。

 

昨日のブログで、怒るのと、笑うのは一緒だと教えてもらい、とても気楽な気持ちで、母に会いに行けました。

 

もし、怒ってたとしても、それは笑っているのと同じなんだから、大丈夫と思えたのです。

 

母は今日もせっせと服で鞄を作り、その中に自分の衣類を詰め込んで、パンパンの大きなボールを作っていました。

 

今日は、ここがお母さんの家だというと、ここがいいなぁ。独りでいたって、嫌やもんなぁ。知らないところの方がいいわぁと、すべてを肯定していました。

 

編み物を持って行って、やってもらったりもしました。

 

単純なくさり編はまだできました。

 

おやつも食べて珈琲も飲んだんですが、散歩にでも行こうという事になり、

 

「パンでも買いに行こう!」と、母が言うので、自分から、パンを買いに行こうなんて、久しぶりに聞いたなと思い、それなら、今から行くか!と、17時ごろグループホームを出て、車に乗り、母のマンション近くのパン屋さんに久しぶりに行きました。

 

マンションの横の神様喫茶店に車を停めさせてもらい、パン屋さんまで歩いていきました。

 

パン屋さんでの道で、母は、

 

「もう、ここを歩くのは、なんか、恥ずかしい気がするわ」と、言いました。

 

「あんたと二人で、ここを歩いて、なんか、久しぶりで恥ずかしい感じ」

 

すべてのことを忘れてしまうはずなのに、久しぶりに歩くことを感じている。

 

もう、母の気持ちのなかに、このマンションがなくなってきているのだなと思います。

 

あんぱんを買い、私は胡桃パンを買い、ラスクを一つ買い、また、マンションに戻ってきました。

 

母の部屋で、パンを食べてもいいなと思っていたんですが、母は、マンションのエントランスに入ると、

 

「はぁ~~しんど」というので、

 

「もう、部屋に入らずに、車に乗るか?」というと、

 

「そうやな」と。

 

エントランスから部屋までが、遠いのですが、母は、この道を、何度も往復していました。

 

夜中もポストを見てくると、歩いて行ってたのです。

 

このマンションに、戻ってきたとしても、もう母は、ポストまでを往復するなんてことは、しないんですね。

 

本当に、よく歩く母でした。

 

でも、もう、歩くの、疲れるんですね。

 

 

一昨日に引き続き、ここまで来ても、母は部屋に入ることをしませんでした。

 

エントランスから、母の部屋が、本当に遠くに感じました。

 

 

春に、ベランダで、桜を見てもらったのが、最後でしたね。

 

 

それから、車の中でパンを食べ、グループホームに帰ると、ちょうど晩御飯の時間でした。

 

母は、私に、トイレ行ってくるけど、待っててやと言いましたが、トイレから出てくると、

 

「あんた誰?」といい、

 

テーブルについて、ご飯を食べ始めました。

 

 

パンを買いに行ったときも、パンを買いに行こうと言ったので、連れてきたのに、歩いている最中、

 

「パン?私が?」と言っており、

 

私は、母の一言一言を、受け取りすぎて、その通りに願いをかなえようとしますが、本人は、何も覚えておらず、なんだか、おちょくられている感じがします。

 

母は、席に着き、食事を始めると、私の方なんて、見向きもしませんでした。

 

 

帰り、マンションの片付けに行かなきゃいけないけれど、行きたくないなと思い、右に曲がると自宅。左だと、マンション方向だったんですが、行きたくないのに、左に曲がってしまい、心の中で、

 

がんばらないがんばらない。ちょっと袋をおいてきて、ちょっと一つだけ、持って帰ればいい。それでいい。と

 

言い聞かせながら運転し、そして、また、神様喫茶店の前に車を停めました。

 

すると、

 

神様が出てこられて、

 

「いつもすみません」と挨拶すると、「お気になさらずに~」と言われ、

 

私が、「もうがんばれなくて、すこしずつ毎日運び出しているんです」というと、

 

「私になにかお手伝いすることがあれば、言ってください。力だけはありますので」と、言って、マウンテンバイクに乗って、去っていかれました。

 

 

あ~~この言葉を聞くために、左に曲がったんだなと思いました。

 

今日は嬉しくて泣けました。

 

 

おかげで少し頑張れました。

 

 

 

今日は、コメントくださった人の言葉でも、救われましたし、言葉って、本当にすごいなと思いました。