去年の夏。
実家お片づけ大作戦を実行するにあたり、母の実家のマンションのとなりに喫茶店があり、そこの店主が、母に何かあったら隣なのですぐ駆けつけてあげると言ってくれたことや、営業時間外なら、車を喫茶店の駐車場に止めてくれていいと言ってくれたことなどを、お知らせしました。
こんな近くに、神様いたんやなとあり得ない出来事に感謝しました。
ところが、神様は一人ではなかった。
母の食事改善に協力してくれる神様があらわれたのです。
それも、母のデイサービス終わりで帰宅してからの時間に、お弁当を届けてくれるというのです。
デイサービス終わりが、一番気を付けたい時間帯なのです。
散歩に出かけて、パンを買って帰ってくるこの時間帯。
キッチンに食べるものがあっても、パンを買ってきてしまう母。
今の母にとって、パンばかりを食べる生活は、何とかやめさせたい。
私が、夜、母の実家に着いた時に、パンがまだ、そのままなら、回収して帰ってくるのですが、すっかり完食していることもあります。
この話を、知人にすると、お弁当を作って、届けてあげると言ってくれたのです。では、それを仕事にしてくれない?というと、仕事にしたら、しんどくなるから、できた時に持っていくねということでした。
私は、この神様と、30年の付き合いで、この30年間、この方の作る料理をたくさん食べてこんなに大きく育ちました(笑)
うちの母も料理上手だったのですが、私が、勤めてからは、この神様の食事を食べる機会の方が多かったかも。
できる時に、作って届けるねと言うことだったのに、平日毎日届けてくれる神様。
母の家に私が着くと、空っぽの弁当箱が、綺麗に洗って、伏せてあります。
「これどうしたん?」とわざと聞くと、
「え?あんたが持ってきてくれたんとちがうの?」と、初めは全く覚えていなかった母。
「わたしじゃないやろ?○○さんが届けてくれたんやろ?もうほんで食べてるやんか」というと、
「食べたんやろなぁ」と食べたことも忘れています。
それが、先日、伏せてあるお弁当箱をみて、
「このお弁当箱○○さんに返さなあかん」と、
持ってきてくれたことを覚えていられるようになりました。
2週間くらいかかったけど。
記憶が蓄積しています。まだ、積み重ねられるのだと驚きました。
それと、いつも、神様がお弁当を届けてくれた後、母は、私に電話をかけてきています。
残念ながら、私は仕事中で、電話に出られず、仕事終わりでかけなおしても、なぜ、自分が電話をかけたのかを覚えていないので、かけなおすこともしなくなったのですが、その着歴をみて、
いま届けてもらったんだなと確認しています。
1月の終わりは、雨模様も多かったこともあったので、神様のお弁当を食べて、買い物に出かけることがなくて、パンを食べなかった週がありました。
こんなに長い間、パンを摂取しなかったことは、ないのではないでしょうか?
これもすべて、神様のおかげです。
最近の母は、言葉を覚えるカードの成績が良かったり、昨日は、娘が母に宿題をさせようとマンションに立ち寄ってくれたら、母が自ら、宿題の脳トレの計算をしていたらしいのです。
「ばあちゃん、すごいやろ!」と娘からLINEが来ました。
ほんとすごい
半年前は、ただ、母の認知症の進行を見守り、薬が増えるのを待つだけだと思っていたのに、半年前の自分に教えてあげたい。
『認知症は、改善しますよ』
お弁当の神様は、お弁当作りが今の生きがいだとおっしゃった。
認知症の母も助かり、神様も喜びが得られるのか・・・と思った。
『こんな夜更けにバナナかよ』の映画の大泉洋さんのセリフを思い出す。
「俺はみんなの役に立っている」←多分こんなセリフ
介護される側が、いつも何かをいただいてばかりいるのではないのだ。
私も、母の世話をしているようで、実のところ、母のおかげで、脳や体のことを知ったり、難しいことに(私にとって)挑戦したりして勉強させていただいているのだ。
喫茶店店主の神様に続き、お弁当の神様が登場。
そして、このあと、さらなる神様が登場することとなる。
つづく。