人間の可死性の結果として、もう一つの実存的二分性が生じます。人間はそれぞれあらゆる可能性を担って生きているが、一個人の人生は余りにも短いので、たとえ最も恵まれた環境にあったとしても、その完全な実現は望めないのです。何を実現することができるかということと、実際に何を実現するかということとの間の矛盾を、人間は少なくとも漠然とは知っている。

 明治時代の政治家陸奥宗光が、こういったときいています。「人間は有限の生命をもって、無限の志望を抱くものなり。」と 

 人間は自己自身に正しくかかわることにより、実存的二分性に気づき、自己自身に深く考えを及ぼした結果、人間はもともとひとりぽっちであり、孤独なのだということを認め、決して自分の問題を問いてくれるような自分を超越した力などない、ということを承認する。人間は自己自身に対する責任と生産的に生き続けることによってのみ、自分の人生に意味を与えることができるということを承認する。だから人間は不安と無力の感情に耐えて、絶えず自己自身の存在可能性を実現しつづけていかなければならないのです。