彼らは自分の人生を積極的に生きていると思っているでしょうが、実際はそうではない。正にその正反対の事態に陥っているのです。第三章で示したように、人間の生きる意味は、たえず自己自身の存在可能性を実現していくことにあるのです。しかしながら彼らのように、富などを人生の目的として生きていく生き方は、彼らの人生が富などを得るための手段となるということを意味しているのです。彼らは富などを得ようとすればするほど、自分の欲望の虜となっていく。彼らはそれらを支配しようとして、かえって逆にそれらに支配されているのです。

 ブーバーはこう述べています。「生命のはたらきが完全に止まって、そのかわりに実際は非人間的なからくりが回転しはじめても、しばらくの間は、人々はそれをまだ生命が作用していると勘違いするのである。」と

 ブーバー著 「孤独と愛」 創文社 p73