また、運動能力に関していえば、たとえば乳児は這えるようになるとしきりに這おうとし、つかまり立ちができるようになるとしきりに立とうとする。これらは、この時期のこどもにとって遊びであるとともに、身体と運動の発達を支えてもいるのです。このように遊びは好んでなされ、しかも楽しく、その結果として、できなかった運動ができるようになるので、なお一層好まれ、結果的に、健康的な身体と運動能力の発達を強く促すのです。このように、本来子どもというものは、よろこんで成長し、前進し、新しい技術・能力・体力を身につけていくということが次第にはっきりしてきたのです。

 ハイデッガーのいう未来性、フロムのいう生産性、『知的好奇心』における向上心、これらにより、人間はたえず、自己自身の存在可能性を実現していくことによって成長・発達していく存在だといってよいと思います。マスローはこう述べています。「わたくしの考えるのに、いやしくも心理学の理論で人間は自己のうちに未来をもち、この現在の瞬間においても力動的にはたらいているという考え方を、中心におりこまないようなものは、決して完全なるものではないといってよい。」

 マスロー著 『完全なる人間』 誠信書房 P34

 これらのことから、本来人間とは、静的な(static)存在ではなく、たえず、自己自身の存在可能性を実現しつづけてゆく動的(dynamic)で、生産的な存在だといえるのです。