卒業後1年の読書の中に、サルトルの本が2冊出てくるが、これは、私が、卒論をすすめて行く上で、いろいろと話し合ってきた教授から、勧められたものだ。この話し合いは、私の卒論に対するアドバイスではない。私たちは、お互いに、どこか似ていて、何かが違うと思っていた。教授は、ある種の精神的苦悩を体験しているのだった。私は、卒論の時点では、まだ、精神的苦悩は未体験だった。しかし、私の方が、人間存在の深いところに、到達していると感じていた。教授も、私と話し合っていくうちに、そう感じたようだ。

私は、ある日の話し合いで、あなたの中心としている研究を続けても、答えは出ない。何故、それをやっているのか、と言ったことがある。返事はなかった。

私が、初めて、目の前が暗くなるほどの精神的苦悩を体験した時、そのことを教授に話したら、「おめでとう」と言われた。こんな体験を話せる相手は、この教授しかいなかったのだ。

この教授と連絡をとる時期が来たかもしれない。