私は、実存主義的な心理学者、哲学者の考えを取り入れ、自分の掴んだ世界観を表現したが、結局、言葉は、関係ない。

人生の究極の目標は何か?考えただけでは答えは出て来ない。

この答えは、体験なのだ。

でも、体験するには、考え抜かなければならない。

たった一人で、この問題に向き合わなければならないのだ。

誰も、答えを、教えてくれない。

それぞれが、自分一人で答えを出す以外、方法がない。

女性は、出産の痛みを経験する。その経験をした人が、していない人に対し、鼻からスイカを出すような痛みだ、とか、言ったとしても、その痛みを理解することは出来ないだろう。

自己実現も同じで、体験をしていない人に自己実現を教えることは出来ないのだ。

そして、私は、心理学をやっていたから、自己実現と表現しているだけで、哲学科にいたら、究極絶対の真理を体験した、と言っているだろうし、仏教学科にいたら、悟りを開いた、と言っているだろう。

言葉は、関係ない。

体験は、言葉ではないのだ。