わたしの中で
いつまでも 許せない 悲しい感情が
お父さんのことです
このブロックを外さないと
わたしになれないと思うので
ブログに書いてみようかと思います。
父は北海道の田舎育ち
実家は農家でした。
小さい頃は週末ごとに札幌から
車で30分くらいの
父の実家に遊びに行っていました
周りは地平線が見えるのではないかと
思うくらい 見渡すかぎり田畑が広がり
時折 ポプラ並木が風に大きく揺れる
ザ 北海道 というような風景でした
家の周りは大きい納屋が3つ、4つあったかな
ある納屋には何故かグランドピアノも
ありました。
玄関前はロータリーになっていて
大きな敷地に大きな家が建っていました
お正月には親戚中が集まり
20畳くらいの仏間にたくさんのご馳走が
並び、おじ、おば 従姉妹たちが総勢
30人くらい集まって、賑やかに過ごし、
お年玉もたくさんもらい
ました。
周りには自生のグスベリーや野苺があって
そんなのを取っておやつにしていました
たまに夏休みなんかに泊まると
花火をした後
何故か従姉妹に外でトイレに行くと
気持ちいいと即され、
夜空を見ながら用を足したこともあります
天の川がくっきり見えて
宇宙にいる自分をいつも感じていました
わたしが小さい頃は結構 そんな感じで
羽振りのよい農家だったかも知れませんが、
父の十代の頃は食べるのも大変な家
だったようで
父は中学を出て札幌に働きに出たようです
父はよく
「高校は出たかった」
と言っていました
小さい頃のわたしはそれがどんな
ことなのか考えたことはありません
でした
でも父が小さな印刷所をやめて
自分で印刷所を経営したのは
学歴を馬鹿にされたことが悔しかった
からなのかもしれません
その後 数年は経営もうまくいき
景気がよいときは
「中学しか出ていない自分でも
ここまで出来るんだ」と
父は自慢げに話していました
学歴って必要なんだな
わたしは大学まで出てみたいな
と勉強もできないのに漠然と思って
いました。
わたしが中学に入って間もなく
父の会社は倒産しました
ある冬の日に母が荷物をまとめて
東北にある母の実家に飛行機で
行くと言いだしたのです
飛行機に乗るのは嬉しいけど
不穏な空気漂う母の気配に
嫌な予感がしました
もうすぐでクリスマス🎄
子供にとっては1番楽しみな季節
学校の友達とクリスマスパーティーの
計画まで立ててワクワクしていた
頃でした
学期末を待たずに大きな荷物を
持っての旅行?はやっぱりおかしい
空港へ向かう車に風貌のおかしい
怖いおじさんがきて
わたしにお小遣いをくれました
1万円もの大金は お年玉でもなんでも
ない時期にもらうにしては
不自然
ぽーとしていたわたしにも
これは変なことが起きているなぁ
と感じてもらうことを躊躇していたら
その怖いおじさんは無理やりわたしの
カバンにそれを押し込めました
このお金は触ってはいけない
気がする
そう思いました
後で母に聞いたら
その人は
や のつく職業?の人で
その人に父は騙されたようでした
そして
母の実家で数週間過ごした後
近くのアパートに住むようなりました
北海道の友達に別れを告げることも
できず、
後でこれが夜逃げなんだと知りました
わたしは当時 わりとクラスの人気者だった
ようで
親しい友人の手紙で
たくさんの級友が
わたしの不在と急な転校に
泣いてくれたと聞きました
いく通かの手紙には
なんで急にさよならも言わず
居なくなってしまったのかと
怒りと悲しみの内容がつらつらと
書かれていました
きっと後で 友人の親や担任の先生に
事情があることを聞いたと思います
わたしからはそのことに対する返事は
どう書いていいのかわからなかったから
わたしは自分の生まれ育った北海道が
大好きでその土地を離れるなんて
わたしの身体のエネルギーの綱を
無理やり大地から引き剥がされる感覚
で 友達と別れるより 幼なじみと
別れるより 何より辛くて
このことがなにより父のことを
父の死まで
恨んだことになったきっかけに
なったんだと思っています
父はよくも悪くも純粋な人
この世界で上手くやるには
可愛すぎたのかもしれません
まだまだ
この後も父はわたしの苦しみの
タネでありつづけました。
続く
今日のランチ
アフターヌーンティールームで
のんびり
暇すぎて
眠い💤
あの頃
こんな日が来るとは思えなかったです
