横型ベビーカー抱っこおんぶももうすぐ限界をむかえそうなので、、ベビーカーに慣れてもらわないとと思い、横型ベビーカー出動。ヨーカドーへ。なるくんは少々泣くものの、乗っていてくれる。しかし、ねねちゃんは、この世の終わりの泣きをし続けるので、、結局抱っこひもに入り込むこととなりました。他の双子ママは、このベビーカーに入るとソッコー寝るよと言っていたので、なるねねもそうなるといいな。
心の整理毎日、心の整理をしています。 3/31から、自分の気持ちが一変しました。 今までやってきたこと、なにがいけなかったのかを考えています。 もっと話し合いが必要だったのだと思います。 色んな誤解もあったと思います。 そして、自分は甘え過ぎていたから、これからは自分でやっていこうと決めました。 えい父が仕事に集中するのに育児はしないという考えは私には理解できないけど、えい父の仕事はそれくらい大変なのかもしれません。それでも理解できませんが。 私も自分に双子がうまれるまで、双子っていいな、くらいにしか思っていませんでした。こんなに双子育児が大変だというのは、やってみないとわかりませんでした。 同じように、えい父の仕事も私はわからないから大変さをまだわかっていないのかもしれません。 里帰りすればよかったのかも、でも、未熟児で産まれた2人を新幹線には乗せられなかった。 半年の入院、ハイリスク出産、双子育児… 去年これらのことが起きて、 全部想像以上に大変で… みんな手探りでやってきました。 でも、周りの方みんな、全力で助けてくれた。 義両親は毎日、三歳児という大変な時期のりくをずっとみてくれて、 えい父は将棋をがんばっていて、 りくはママと離れても健気に過ごし、 そして、母は遠い新潟から何度も新幹線を往復して私の看病、つまりなるねねを無事出産できるように病院に通ったり、そしてりくが少しでも同じくらいの子たちと遊んだり楽しめるように保育園の通園許可を区役所に行って手続きしたり、プールに連れて行ってくれたり、えい父が入ったすごく面倒な健康保険の後始末をしたりしてくれました。 そして私は、真っ赤に汚れた下着の洗濯を頼めるのは、母以外いなかった。 そして産後は、義両親にはりくやなるねねを預かってもらったり、 義姉にはもう感謝してもしきれないほど、りくなるねねのお世話、そして私のグチを聞いてもらったり、はっきり言えますが1番お世話になりました! そして母には家事全般、赤ちゃんのお世話、栄養のある夕食作りを全部してもらい、自分は育児と自分の体力回復をさせてもらいました。 これらのことをみんなに助けてもらい、なるねねは産まれたんだと思っています。 ひとりでも、ひとつでも欠けていたらどこかに大きな負担となり、うまくいっていなかったと思います。 だから、いっぱい考えてもどう考えても、なるねねの首がすわる頃までの期間、母は絶対必要だった。 それは私にとっても、仕事に集中するえい父にとっても。 みんなに助けてもらって、ここまでこれたのだと思います。 今も毎日が慌ただしく過ぎて、忙しくて忙しくて、夕方になると、逃げ出したくなるときや心がくじけそうになるけど、世界で1番大切なりくなるねねが幸せに暮らせるようにするためにはどうしたらいいのかをまず考えてやっていこうと思っています。 去年の色々大変だったことは、とにかくとにかく長過ぎたのだと思います。 色んな人の色んな限界が頂点に達したのかもしれません。 とにかく、今は日々目の前のことをこなしていくのみです。 りくなるねねの成長を一日中見させてくれる環境を作ってくれているえい父にも感謝しないといけないです。 でも、ひとりで今の忙しさをこなすのはちょっとしんどくなるときもある今日この頃です。
お風呂今日のお風呂。りくはえい父が入れたいと言うので後から入ることに。マヤケル母さんが先に洗っているとき、りくはなるねねが泣かないように走っておもちゃを取りに行ってくれました。助かった~!!そして今日もねねちゃんはシャワーにうたれてました