マルちゃんの妹や弟はまだ小さくて、ちょっとモジモジしながら、キラキラした目で見つめてきます
小さな弟くんは、狭い隙間からでも、顔を出して、ニコニコしながら、じーーーっと見つめています
可愛いッ
お家の中で、いろいろお話していて、よくよく見てみたら、
床は土のまま。
一部屋に家族6人で住んでいると言います
ベッドはふたつ。
みんなで肩をよせあって、このベッドに眠っているんでしょう。
お母さんは、私たちがマルちゃんの家を訪れることになったのを知って、
「マルタは泣いたのよ」
と言います
こんな狭いお家に、私たちを迎えるなんて恥ずかしいと、泣いたんだと言うんです
なんだかそれを聞いて切なくなりました
帰り際、お母さんに、改まってお礼を言われて、こちらが恐縮してしまいました
家庭の事情のことや、本当にありがたいと思っていること等、切々と話しだすお母さん。
日本人の私にとって、この支援はホントにささやかなこと。
一度の飲み会に使ってしまうような支援金額なのに、彼女たちにとっては、すごく大きなもので、それがなくては、一年間学校に通うことさえ難しいなんて。。。
わかっていたつもりでも、こうやって実際に目の当たりにして、実感することができました。
マルちゃんは、あと一年で小学校を卒業します。
でも、もう学校には行かない、と言います。
お母さんのお手伝いをするため、学校には行かない、と。
下の小さな弟が学校に入るから、そのためにも行けない、と。
長女としての責任感が、小さいながらも彼女にはあるのでしょう。
大人びた彼女の表情や、もの静かな彼女の目から、そういう芯の強さのような、そういうものを感じ取ることができたように思いました。
マルちゃんの村は、私の友人たちが多く住むアンティグア近郊の村サンアントニオとは全く違う、もっと質素な生活をしている所です。
でも、「可哀想」とは違う。
家族みんなで力を合わせて質素に慎ましやかに、明るく生きている人たち。
日本にいたら、気づけないことが、ここグアテマラにはたくさんあります
ここに来ることや、グアテマラと関わることは、やっぱり私の人生には必要なことだったと思います
前からずっと思っているように、
ただ私は日本という国に生まれただけ。
お金を稼いで、旅行にも行ける。
やってみたいと思うことに、挑戦することができる。
でも、ここグアテマラでは、金持ちはより金持ちに
マルちゃんのようなお家は、仕事を見つけることさえ難しくて、学校にも満足に行けない。
たとえ、人に恥じることなく、質素にけなげに生きていても、たいていのことは叶わない世界。
日本人の私には、悔しいという想いがわき上がるけど、グアテマラの人たちは、そんなことを考えていたら生きていけないと言います。
不条理に慣れるのが、あちらの常識です。
私にできることは微々たることだけど、1人でも多くの子供たちが学校を卒業できるよう、見守って行く1人で居続けようと思います
子供はグアテマラの将来をになっているんですから
そういえば、グアテマラの友人が、笑いながら
「グアテマラがグアテブエナになるには、あと500年はかかるね!」なんて皮肉を言ってたなぁ
※「マラ」 mala=「悪い」と言う意味。「ブエナ」 buena=「良い」という意味。
みんなの明るい笑顔を見ていると、この子たちが元気なら、この国はなんとかなるんじゃないか!なんて考えが頭をよぎります
そんな簡単なわけがないのに、子供たちの笑顔を見ていると、そんなふうに思えてくるから、不思議です
ランキングに参加しています
クリックが応援投票になりますので、ぽちっと押していただけたら嬉しいです
にほんブログ村
いつもありがとうございます
Gracias por su visita!
グアテマラ&メキシコ民芸雑貨アルテサニア・マヤ