ヒストリーチャンネルで、中南米の文明について放映しています

あの、メキシコシティを飛行機から見たときの、あのワクワク感を思い出しました。
”魔の都市”にやってきた!といつも上空から思います

メキシコシティは、昔、アステカの時代、湖に浮かぶ島でした。

この島は3km四方。
人口はおよそ20万人。
アステカは、14世紀に始まり、16世紀にスペインに滅ぼされるまでの200年間、発展しました

この島の中心にある太陽神殿をスペイン人たちが、ことごとく破壊し、その上にカトリック教会を建てました

それが今の、メキシコシティの中央、ソカロにあるカテドラルです


この湖の土地を利用し、チナンパと呼ばれる畑を作り、多くの人々の食糧を作り出していました



湖の底にたまった泥には、微生物がたくさんつくので、それを肥料に植物を育てて行ったそうです。
そのため、他の地域のトウモロコシよりも、大きいトウモロコシが穫れたそうです

このアステカは、豊富な水とチナンパによって、繁栄していきました

一方、ユカタン半島に栄えたマヤ文明は、水の確保に苦労した地域でした

その土地は、石灰質で、雨が降ってもすぐに石灰がそれをのみこみ、地表に水は残りません。
そのため、マヤの人々は、この石灰を焼いて水を混ぜた「漆喰」を作りだしました。この「漆喰」は水を通しません

この「漆喰」をマヤの都市のピラミッドや道路に塗り、微妙な角度を街全体に作り、雨水を貯水池にためるように都市を作っていたそうです。
その貯水池の水が、多くの人々が川のないこの密林で住むことを可能にしました

グアテマラにあるティカル遺跡には、貯水池が高台から低地にまでいくつかあり、上の貯水池にはきれいな水、下の方の貯水池には、汚い水、、、と、一度使用した水までをも使い、水をとても大切にしていたのだそうです。


ピラミッドにも漆喰を塗り、赤い色を塗っていました。
マヤの時代には、青い空に真っ赤な神殿たちが、どれだけ映えていたことでしょう


マヤ文明は、70もの都市が分散しそれぞれが繁栄しました。
互いに産物を交換し、無い物をお互いに補填しあっていました。
各都市でネットワークをくみ、たくさんの産物が行き交ったのだそうです

時には、この利権をめぐり、戦がおきました

ボナンパックには、1200年前の戦の絵が残っています。

ジャングルを大軍で移動するのは、困難なため、小規模の戦だったそうです。
武器も槍などで、殺傷能力はほとんどなく、王を生け捕りにした方が、勝利としたそうです。
奇襲攻撃もなく、戦の期日も決まっていたのだそうです。
戦に負けても王家は存続し、相手を滅ぼすことはなかったため、お互いに共存することができ、マヤ文明は2000年もの間、繁栄することができました。
マヤ文明では、焼畑農法で食糧を生産していましたが、それにも限界があり、その食糧を他の地域に求め、戦が起きました

この食糧危機のため、今までとは違うモラルの無い戦が起こり、ティカルは滅んで行ったと言われています

このヒストリーチャンネルでは、インカ帝国についてもやっています

私が、ペルー、マチュピチュを訪れたのは、もう10年近く前です。
ペルーの大地は、中南米とはまた違う匂いや風景があって、圧倒されたことを覚えています

あまりテレビを見ないのですが、久しぶりに数時間続けて、中南米の文明についての番組を見れて、す~~~っごく幸せです

またティカルや、チチェン・イッツァーに行きたい~!!
まだ行けてないボナンパックに行きたいな~と、また遺跡熱がフツフツと湧いてきております

楽しい3連休をお過ごしください



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グアテマラ&メキシコ民芸雑貨アルテサニア・マヤ
