4月26日、グアテマラのヘラルディ司教が暗殺されて、12年がたちました
先日の「グアテマラ~ある天使の記憶」の記事にもヘラルディ司教について少し書いていますが、内戦に関連する私の記事を見たらしいグアテマラの友人が、ヘラルディ司教が暗殺されてから12年たったことをブログに書いてほしいと言われ、こんなメッセージをもらいました。





Hace 12 años, yo trabajaba en El Salvador con futuros voluntarios de cuerpo de paz, entonces no estaba en Guatemala y para mi fue algo bien impresionante de ver en las primeras planas de los periódicos salvadoreños, el día 24 de abril de 1998, el titular que más recuerdo es: "se empieza a descubrir la verdad, verdadera. sobre la guerra civil en Guatemala". y lo más triste dos días después, leer en el periódico: "Matan la democracia en Guatemala" ya que para ellos (los periódicos) con la muerte de Gerardi, es la muerte de la libre expresión.
12年前、私はエルサルバドルで平和部隊のボランティア候補生たちと一緒に働いていました。
そのため、その頃グアテマラにはいませんでした。
1998年4月24日、エルサルバドルの新聞の一面に”グアテマラの内戦の事実が暴かれ始める”と出たことにすごく感銘を受けました。
そして、その2日後、悲しいことにその新聞で”グアテマラの民主主義が殺される”と読むことになりました。それは、新聞社にとってもヘラルディ司教の暗殺は言論の自由の死でもありました。





この友達とは10年来の友人ですが、一度もヘラルディ司教について聞いたことがありませんでした
でも、こうやってグアテマラの人たちの心に今もヘラルディ司教は生き続けているんじゃないかと思えました。
この日のグアテマラの新聞「プレンサ・リブレ」でも報じています。記事はこちら

ヘラルディ司教は、内戦の一番ひどい時期に、軍の標的とされていたキチェ県の司教でした
堂々と、軍による人権侵害を批判し、聖職者たちが次々と殺されて行く中、社会にこの事実を知ってほしいと司教区を閉鎖した人でした
司教区の閉鎖後、キチェの農民のグループがスペイン大使館を占拠するというやむにやまれぬ手段に訴えました。
軍は即日大使館に突入し、スペイン人外交官を含め36人を焼き殺したと言います
助かったのは大使ただ一人。
その中に、ノーベル平和賞受賞のリゴベルタ・メンチュウの父もいました。
ヘラルディ司教と親交のあった人たちも含まれていたため、より一層軍から目をつけられるようになっていきました。
この事件の後、スペインはグアテマラと国交を断絶し、ヘラルディ司教は世の中に訴え続けていても、軍による殺戮はおさまることなく、キチェ県全体が「巨大な墓場」と化していったそうです。
そして、ヘラルディ司教は、自身が代表を務める歴史的記憶の回復プロジェクト(REHMI)の調査結果を公表しました。
それは、内戦のほとんどの責任は軍にあることを示すものでした
その2日後、ヘラルディ司教は暗殺されました。
youtubeでこれを見つけました。
映画「ヘラルディ」
グアテマラで上映しているようです。
日本で上映されるとは思えませんが、いつかどうにかして見てみようと思っています。
グアテマラの人たちの中には、共通の痛みを感じる日が他にもたくさんあるのだと思います。
ヘラルディ司教が考えていたのは、社会に声をあげて訴え続けていくことです。
グアテマラという危うい国を、どうか頭の片隅において、暖かい目で見続けてほしいと切に願います
もう二度とこんな悲しいことが起こらないように。。。
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先日の「グアテマラ~ある天使の記憶」の記事にもヘラルディ司教について少し書いていますが、内戦に関連する私の記事を見たらしいグアテマラの友人が、ヘラルディ司教が暗殺されてから12年たったことをブログに書いてほしいと言われ、こんなメッセージをもらいました。





Hace 12 años, yo trabajaba en El Salvador con futuros voluntarios de cuerpo de paz, entonces no estaba en Guatemala y para mi fue algo bien impresionante de ver en las primeras planas de los periódicos salvadoreños, el día 24 de abril de 1998, el titular que más recuerdo es: "se empieza a descubrir la verdad, verdadera. sobre la guerra civil en Guatemala". y lo más triste dos días después, leer en el periódico: "Matan la democracia en Guatemala" ya que para ellos (los periódicos) con la muerte de Gerardi, es la muerte de la libre expresión.
12年前、私はエルサルバドルで平和部隊のボランティア候補生たちと一緒に働いていました。
そのため、その頃グアテマラにはいませんでした。
1998年4月24日、エルサルバドルの新聞の一面に”グアテマラの内戦の事実が暴かれ始める”と出たことにすごく感銘を受けました。
そして、その2日後、悲しいことにその新聞で”グアテマラの民主主義が殺される”と読むことになりました。それは、新聞社にとってもヘラルディ司教の暗殺は言論の自由の死でもありました。





この友達とは10年来の友人ですが、一度もヘラルディ司教について聞いたことがありませんでした

でも、こうやってグアテマラの人たちの心に今もヘラルディ司教は生き続けているんじゃないかと思えました。


ヘラルディ司教は、内戦の一番ひどい時期に、軍の標的とされていたキチェ県の司教でした

堂々と、軍による人権侵害を批判し、聖職者たちが次々と殺されて行く中、社会にこの事実を知ってほしいと司教区を閉鎖した人でした

司教区の閉鎖後、キチェの農民のグループがスペイン大使館を占拠するというやむにやまれぬ手段に訴えました。
軍は即日大使館に突入し、スペイン人外交官を含め36人を焼き殺したと言います

助かったのは大使ただ一人。
その中に、ノーベル平和賞受賞のリゴベルタ・メンチュウの父もいました。
ヘラルディ司教と親交のあった人たちも含まれていたため、より一層軍から目をつけられるようになっていきました。
この事件の後、スペインはグアテマラと国交を断絶し、ヘラルディ司教は世の中に訴え続けていても、軍による殺戮はおさまることなく、キチェ県全体が「巨大な墓場」と化していったそうです。
そして、ヘラルディ司教は、自身が代表を務める歴史的記憶の回復プロジェクト(REHMI)の調査結果を公表しました。
それは、内戦のほとんどの責任は軍にあることを示すものでした

その2日後、ヘラルディ司教は暗殺されました。
youtubeでこれを見つけました。
映画「ヘラルディ」

グアテマラで上映しているようです。
日本で上映されるとは思えませんが、いつかどうにかして見てみようと思っています。
グアテマラの人たちの中には、共通の痛みを感じる日が他にもたくさんあるのだと思います。
ヘラルディ司教が考えていたのは、社会に声をあげて訴え続けていくことです。
グアテマラという危うい国を、どうか頭の片隅において、暖かい目で見続けてほしいと切に願います

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