下らない世界での

下らない球蹴り

2011年誰かが言った

こんなときにボールを上手に蹴れたって意味なんてない、と。

それなら僕も同罪だ

ITだってコンピューター文明が滅びれば意味はない

建築や農業や、なにかを産み出す、
以外の文明や職業は

アーティストだろうが
アスリートだろうが
サラリーマンだろうが

それに準えば等しく意味はない


広島の平和公園にて思う

僕らの今、があるのは
これだけ凄惨な過去があるから。

悲観的に思えばいくらでも暗くなれる
アラを探せば、こんなときにヘラヘラ笑っていいのか?と

当時は言われたかもしれない

けれど、

間違ってようが
正しかろうが
そんなことよりも

今、出来ることをやっていくしかない

今あるいてる道が
今まで歩いてきた道が

どれほど是非を説いても意味はない


今から歩く道を
よりよくするしかないのだから

僕らはやっぱり歴史の上に生きている


そしてこんな穏やかな時代で
勝った、負けた、と騒げる文化は

やっぱり、意味はないと言いつつも

こんな時代だからこそ

目に見える「一生懸命」に心打たれるのだろう

磨いた技や、力や、その能力は
誰にも真似出来ないからこそ眩しく見える

だからこそ、人はそこに情熱を捧げて叫ぶ。


スポーツや文化は虚像の産業だけれど
だからこそ、最も人間的だ、とも思う


幼い頃の憧れの行き着く先


そんな原始的な感情


どれだけ文明が発達しても

最後は、

どうだ、すごいだろ

て言い合いたいだけ。

そして


なんだ、お前らも中々やるじゃないか!

て称えあう

だからこそ素晴らしく
だからこそ美しい


過去の悲しみと
今の幸せと

大好きなサッカーに触れられる日常に感謝して