CLグループリーグ マンチェスターU 対 ソシエダ


■香川が中心となって、、、
やや大げさな表現ではあるが、ルーニーを代えて
ファンペルシーを投入した瞬間、

少し状況は違うものの、往年のサッカーファンは
あのシーンを思い出したのではないか?

アンタッチャブルだった 「トッティ」に代えて
中田が投入された瞬間を。

その交代の後、チームの中心というべきトップ下は
香川のものとなり、かつての王様ルーニーはベンチに下がった。

0-0の状況、体力的な問題もあり
これだけで、ルーニーやVペルシよりも上だ、などと
つまらないことを言うつもりはない。

けれど、瞬間的にせよ、
この小さな日本の選手が
あのマンチェスターUの中央で
ファンペルシー、チチャリート、バレンシアを操る。

こんな日が来るとは、、、と思わずにいられない。


試合のほうは、まさに水を得た魚のように躍動する香川が「文字とおり」 中心となってチャンスを演出した。

しかし得点は奪えず。
ルーニーも陥った罠に落ちつつある。

つまり圧倒的なゲームメーカーの不足。
マンUは縦に早いプレミアの中でも、もっともサイドからの単純なクロスで勝ってきたチームである。

ベッカムの時代はそのほれぼれするロングクロスを1点に合わせ、
Cロナウドの時代はその縦へのスピードでサイドを切り裂いた。

今、ルーニーの時代は過渡期とも言える。
パスサッカーをしたがってそうなルーニーと、
未だにサイドを突破したがるSH。

そしてポゼッションに拘るあまり、プレー位置を下げて
ビルドアップに貢献し、チャンスを演出してゴールに飛び込む。

すべての役割を背負ったルーニーは
ゴール数が激減し、トップでの出場を臨んでる。

トップ下が本職とはいえ、香川があれだけ重宝されたのは結局「ゴールをきめる」ことができたからである。

チャンスを作れる素晴らしい選手ならいくらでもいる。

マンUで真に特別な選手になるのはもう少し先だろうか。
それとも英国風のキック&ラッシュに埋もれて
彼のパスは悲しい音色を響かせて後方へと戻り、
観客のブーイングとともに色あせてしまうのだろうか?


少なくともこの日魅せた香川のプレーは
マンチェスターを変えうる何かを期待できるものだった。

だが残酷だが、「実効性」が伴わなければ
サッカーに未来はない。

今後、パスサッカーを浸透させるために
ゲームメイクに奔走しつつ、ゴールを決めるだけの
圧倒的な存在になるのか。

それとももう少しだけゴールのためにエゴイスティックにプレーし、結果をもってまわりを変えていくのか。


内容は伴ってきた。
あとは、結果が出ることを証明するだけ。


そんな試合だった。