皆様、お久しぶりです。Mayaです。


子供時代からのファンであり、私の命を繋いでくれた恩人でもあるシャナンが亡くなってから、2ヶ月が過ぎました。


まだ悲しみは癒えておりませんが、最近になってようやくまた彼女の本を飾ることができるようになりました。


今までは顔を見る度に、長年の夢でもあった会うという夢が叶えられなくなったことに対して、悲しみが強くなって、しばらく見えないところにしまっていました。


ですが、最近何故だか彼女を近くで感じるようになりました。見守ってくれているような……でも、空からではなくて、はっきりとした近い場所から。ずっと心の中で呼びかけてたからかな?


人は亡くなると物理の壁が無くなるから、心が直接通えて飛んで来れるようになるのかな?


でも、彼女と私は何度も言いますが会ったことがありません。当然ですが、彼女も私の顔を知りません。


その気配が彼女のものだと確信が得られる何かがあったわけではありません。ただ、今もまだ程々ですが、体調が最近また落ちていたのに、凄く気分が良い日が何度もありました。その度に、背中を押してくれているような、勇気づけてくれているような、そんな気がするのです。


これはほんの些細な変化で、もしかしたら勘違いなのかもしれません。


でも、この気配は彼女のものだと信じたいのです。





私なりの弔いをしたくて、昨日、2時間かけて御守りを作っていました。





乳がんの啓発を含め、袋にピンク色のリボン(ピンクの守り袋には白いリボン)をつけています。


この中には、彼女の写真が入っています。一つは持ち歩く用に、もう一つはお部屋用に作りました。







紐は通さず、中身が見れないように接着剤で封をしています。


選んだ写真はコレダウン








病気を罹っている全ての方が回復するように、そしてシャナンに対する弔いの意味も込めて作らせていただきました。


お部屋に置いておくものは、後日お守り専用の入れ物に納めさせて頂きます。




普通、お守りにはお札や神様のお姿を納めます。


人を神様みたいに扱うことについては、賛否両論があるかもしれません。ですが、昔の日本、写真がなかった時代は、故人を忘れないように、その人が使っていた物を形見として持ち歩いていました。


人は古くから、死後も残された人の記憶の中に生き続けるということを信じており、それは神を信じることと同じなのです。その人の心が存在するということを信じているのです。


そして、それは今も変わっていません。


私には、彼女の『形見』はありません。現地の方は直接サインなどを頂いているようですが、私には何もありません。これが私にとって唯一の彼女の形見なのです。彼女の存在、言葉、生き方が、私にとっての形見なのです。


そして彼女の存在は、私にとって、生きる勇気と自信を与えてくれた神のような存在です。


なので、私は彼女の存在をこのお守り袋に納めようと思いました。


体としては居なくなってしまっても、これを持っていることで彼女のに触れることができるように……


《会う》という夢は二度と叶わなくなってしまっても、彼女の存在が記憶の中で生き続けられるように……


人と神は表裏一体です。神様も、信じる人、記憶する人がいなければ、居なくなってしまう。存在すらしなかったことにされてしまう。思い出せる人もいない。そんな風になるのは、それこそ地獄のようで残酷なことだと思います。


今は、写真や映像という記録媒体の中で生きている彼女を見るだけになってしまいましたが、目に見えない心は、今もずっと生き続けています。


私はそう信じて、これからも彼女のファンであり続けます。