皆様こんにちは、Mayaですウインク


私はたまーにですが、スピリチュアルに関することをよくネットで調べたりしています。


今日、盛り塩のとんでもない仮説を信じ込んでいる方々のブログを見つけてしまい、これはマズいなと思ったので誤解を解くためにも警告という意味で記事を書くことにしました。


一部話が脱線することがありますが、盛り塩を説明する上で大事なことなので全てお読みください。


私が実践しているウィッチクラフトの中では、塩は「浄化」「ヒーリング」の意味を持ち、水の次に生命維持に必要不可欠なものです。料理にも塩は当たり前のように使われており、日本神道でもお米と水と共に神棚にお供えするものの一つでもあります。ウィッチクラフトも神道と同じ自然信仰のひとつなので、自然から採られるものには特別な意味を持つものが多くあります。


ですが、一部スピリチュアル界隈の中では、この盛り塩が「霊を呼び寄せる不吉なもの」として捉えられているのです……😱





 
本来の『塩』の意味とは?

確かに塩には元々除霊の意味はなく(この説が広まったのも一部の霊能者のせいなのですが……)、だからといって、霊を吸い寄せるものでもありません。むしろ健康を維持するためにはなくてはならない有難いものという意味から魔(病)を祓い避ける力があると信じられているのです。


放置しておくと悪いものが吸い寄せられるという話は、元々霊とは全く関係のないところから来ています。


元を言えば塩は自然物であるので、ずっと放置しておくと当然劣化します。ゴミがついたり埃がついたり、夏場など湿気がひどい場合は塩が水分を吸ってべちゃべちゃになってしまいます。そういう意味で「悪いものがつく」ので、定期的に交換しましょうね、という話なのです。


そのような状態になってしまうと「不潔」となってしまい、神道では心身を穢すものを「不浄」と言いました。塩は置いたその瞬間から外気に触れ、いろんな汚れに触れていきます。腐っているものや汚いものに触れたり口にしてしまうと、我々は体を悪くしてしまいますよね。そうならないためにも、人の体に悪影響を及ぼす不潔なものを「邪気」あるいは「魔」として扱い、避けなさいといわれているのです。


それを何処ぞの霊能者が「盛り塩を置いたら霊が寄ってきちゃうよ〜」という設定を後で付け加えて、現在まで定説として広まっているのです。






 
『邪気』と『死霊』の違い

また、他の盛り塩を説明しているブログでは、「邪気」と「死霊」をごぢゃごちゃに理解したまま説明している方もいました。


邪気とは人の心身に悪い影響をもたらす『病気』や人が持つ『悪意』を指し、霊魂を指すものではないからです。

 

死霊とは死んだ者の霊魂であり、その霊魂が放つものが「念」です。霊魂は生きている人間にも死んでいる人間にも存在するもので、意識の集合体です。神道では神様にも霊魂が存在しているといわれています。


一般的に「霊」といわれているものは、怪談やホラー映画にも出てくるメジャーなものですが、その多くは霊魂ではなく、死んだ者たちが生前に残した思念や記憶が、浄化されず現世に定着している状態を視ています。なので、ずっと戦争をしている兵隊を見てしまったり、肉体がないにも関わらず意識だけ生きていると錯覚してしまっているため、死んでいても意識だけこの世に留まり続け普段の生活をしている人たちが存在するのです。


我々はそれを一括りに「霊」と呼んでしまっているから話がややこしくなるのです。


生き霊も、生きている者が自分の魂全てを飛ばしているわけではなく、自分の中の強い意識の一部が対象の人間に取り憑くことで存在することができます。生き霊は人や物に対して強い執着心がなければ存在できないものなのです。もし魂全てを飛ばしてしまったら、その飛ばした人は死んでしまいます。


一般的に悪霊と呼ばれるものも、正しく言えば『邪念』や『邪気』です。その人の意識の一部である「悪意」がごっそりそのまま出てきてしまっているもので、念の力としてはかなり強く、普通のお祓いでは祓いきれないものも数多くいます。


肉体は魂があるからこそ存在できるもので、魂も意識がなければ存在できません。





 
意識の集合体が『魂』である

前述のように意識の集合体が魂であり、肉体がなくなると、肉体に留まり続けていた意識は大気中に放出され、宗教的に言えば「天国」とも呼ばれる意識の大元の根源である宇宙に還っていくか、一部がこの世に留まることがあります。


卵を想像すると良いと思います。外側を覆っている白い殻が魂の外殻だとすると、中身の部分が意識です。当然、殻がなくなれば柔らかい中身は形を保っていられなくなり液体のように飛び散ったり分散します。それが「念」です。


よく使われる言葉の一つである『残念』には、浄化できずに心残りがある念という意味合いがあります。あなたが見ているその『霊』は、『霊魂』ではなく、この世に強い未練を残した『念』である可能性が高いのです。


そもそも霊魂そのものを視るということは非常にレアな状態であり、神仏以外ほとんどないと思われます。なぜなら死んだ人たちのほとんどは意思疎通ができないからです。


意思疎通ができなければ意識の完全体と言うには程遠く、一方通行の不完全な意識がそこにあるだけです。なので、視える人が会話を試みてもほとんど返してくれなかったり、自分と同じような思いを抱える人を見つけてはそっちに取り憑こうとしたり、普通の生きている状態ではしないようなことをするのです。


ですが、夢で死者と会うと普通に会話できたりします。とある霊感が強い人の話では、現実世界で見る霊は喋らないけど、夢の中で同じ霊が出た時には喋るということがあったようです。これは、現実世界ではその人の不完全な意識を見ていただけに過ぎず、夢では一時的に宇宙にいるその人の大元の意識と交流できたことで意思疎通が測れたのではないかと思います。





 
供物は自然の意識と交流する儀式

盛り塩の話に戻しましょう。なぜそもそも塩を供えるようになったのか。それは、塩が大昔から神様に対する供物の一つであったからです。それが今のような尖った形をしていたかどうかはまた別として……


盛り塩の由来は古事記であったり中国から流れてきたものであるという説が多いですが、太古から塩の恩恵を受けている人々は、塩を神様の一部として崇めていたというのも可能性としては大いにあります。後にそれが古事記に持ち込まれ、塩には祓いの意味を持ち、邪気を祓い避ける力を持つといわれるようになった。なぜなら塩は元々神様のものだからです。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%9B%E3%82%8A%E5%A1%A9

(盛り塩の由来を知りたい方はこちらから)


では考えてみましょう。なぜ自然で採れたものをお供えする儀式があるのでしょうか?


お供えをするという行為は日本だけのものではありません。西洋のウィッチクラフトには、それぞれの季節の花や穀物を祭壇にお供えするという行為があります。そして年8回のサバトでは、必ずその供物と一緒に神様に対する感謝の祈りを捧げるのです。


それは、ただ神様に対して祈るというだけではなく、供物を通して自然の神々の意識と交流しようとしていたのです。もしかしたら、大昔の日本も同じようなことをしていたのかもしれません。


私たちウィッチクラフトの起源であるペイガニズムやシャーマンたちは、こういった自然物を利用して占いをしたり、霊的なものとコンタクトを取ろうとしていました。


自然のものはこの地球だけではなく、宇宙にも繋がることができ、高次の世界と繋がれる素材であると信じていたからです。






 
まとめ

今回の盛り塩の件について、出所がはっきりしない霊能者やブログの言うことはあまり信用しない方が良いと思います。


かく言う私も、このブログが全てが正しいと言うわけではありませんが、決して頭がお花畑の状態で話しているのではなく、限りなく現実に近い考え方で考察し、まとめたものに過ぎません。(霊の話はちょっとあっち系っぽいので何とも言えませんが💦)


ひとつ言うならば、盛り塩をするなら汚さないように管理を徹底しましょう。湿気で溶かしてしまったりカビを生やしてしまったり、蹴ってぶちまけてしまったり……


塩には置いておくだけで気を浄化する力があります。汚れていくと効果を発揮しないので、そうならないように定期的に交換してあげて、できるだけ地べたではなく、テーブルの上や安易に触れられない場所を選んで設置するようにしてください。



私はお水とホワイトセージと一緒に、ガイア様の像の前にお供えしています。山盛りにしてはいないですが、ピンクのヒマラヤ岩塩を粗塩の上に敷くことで、更なる浄化効果を期待できます。







このお塩やお供物については、後日詳しく記事にしたいと思いますのでお待ちくださいねてへぺろ