コロナ以前からかれこれ4年くらい神社参拝⛩️を続けている身として、やはり参拝ルールは知っておかねばと思い、初めの頃はネットでさまざまなサイトをサーフィンしながら情報を集めていたことがあります。
ですが、どれも言っていることがパッとしません、、、
あるサイトではOKでも、あるサイトでは慎めと書かれていたり
有名なのは、『参道は正中(参道の真ん中)を歩いてはいけない』というルール。
実はこれ、いつ誰が決めたのかわからないというのです
つまり、いつの間にかそんなルールができてたということなのです。
誰も真ん中が神様の通り道であると決めた事実がないのです。
びっくりですよね
神主さんでさえ、詳しい由縁がよく分からないといいます。
だからといって、今更堂々と真ん中を歩いていいのかと言われたら、それもまた気が引けますよね。
ここでピンと来たのが、《一部の霊能者やスピリチュアリストが勝手に言い広めた》のではないか説、、、
昔からそういう類に精通した人はいましたから、そういう人たちが代を重ねて、あたかも公式に定められたマナーであるかのように言い広められてしまったのではないか、、、
そもそも、神様は道を歩くものなのか?
私が知る限り、残念ながらこの世の土を踏む神様は見たことがありません
神様は、この世と似て似つかぬ次元に存在するからです。
全く異次元の存在なのですっ
神様というのは、簡単に説明すると人間や動物のように実体がなく、この3次元ではふわふわとした曖昧な存在に変換されます。それが光の玉であったり、白い靄であったりするのです。
それは精神=スピリットの状態であり実体そのものを見たことにはなりません
神様は常にこの世に存在できるものではないのです。
ですが、神様たちの次元の中ではしっかりと肉体を保つことができるのです。
スピリチュアル用語を使うのはあまり好きではないですが、いわゆる「チャネリング」で彼方の世界のものと繋がることによって初めて実体が見えるようになるのです。
神様側からも、私たちの次元にチャネリングすることによって人間に出会うことができます。
たまたまそのタイミングが良いと、神社で光の玉や靄が撮れたりします。
「神様が通る道だから参道の真ん中を歩いていけない」というのは、神様がこの世の者であることが前提になってしまいます。
つまり、我々人間はこのルールに従うことによって、無理やり神様の地位を人間の次元に引き下げようとする行為になってしまうということです。
簡単に言うと、アニメ(2次元)の世界の人間が、現実世界(3次元)の我々を同一に扱うということ。
我々がアニメの世界に自分の生き写しを描くことができても、それは本当の自分ではありませんよね?
そして、アニメの世界の人間は、我々が住む3次元に自分を描くことは不可能です。
3次元では線と立体の概念がありますが、2次元では立体という概念がないので形を保つことができないからです。
神様の概念も同じく、n次元の世界の自分を3次元の世界に落とし込もうとすると、可能な部分と不可能な部分があります。唯一の共通点である精神は辛うじて下ろすことができる。しかし、一説では3次元以上になると定まった形を保つことはできなくなると言われています。なので、肉体は3次元では投影できないものなので無理、ということになりますね。
ですが、精神のみの存在になると、私たちは同じ空間に存在することができるようになります。
それが霊視、あるいはチャネリングの原理です。
日本は古くから自然の中に八百万の神様が宿るという価値観を持っています。
だから自ずと日本人は『神様はこの世にいて私たちと同じように過ごしている』と勘違いしています。
私も最初はそう思っていましたが、霊視やチャネリングを強化していくに連れて、そもそもその価値観や常識が間違っていたと確信し、反省しました
さらに欲深い人間は、私たちの次元に繋がることができた神様に対してお願い事をしてきます。
正直、神様は応援するだけで精一杯です
お願い事を叶えたり、運を分け与える力など残ってません。
人間が神様と繋がろうとするとかなりの体力を消費します(中には精神がおかしくなる人も)。
ほとんどの人は霊的なものと繋がる力すらないですよね?
自分たちでさえできないことを神様にお願いしてしまっている、、、
これは由々しき問題じゃない
神様は人間より精神力が強いので繋がることはできますが、それ以上のことができるかというと難しいのです
私たちは、神様にかなり無理強いをしてしまっている!!
これはどうにかしないといけないと思い、ここに書き記すことにしました
参拝ルールといい、神様の概念といい、色々考えさせられることがありました
