またわたしのすきなひとが自死したらしいです。
わたしは自殺ということばがきらいなので
自死(じし)といっています。
望月めるさん。
わたしは去年しってそれからすきでTwitterみてました。
(それくらいだけど……)
整形いろいろしているのもあこがれ。
労力とお金とふつうに大変だとおもう。
でもかわいくなったら世界がかわるとおもっていたみたい。
そこまでだったから絶望感もおおきかったんでしょう。
望月めるさんいろいろいわれてるけど
テレビとかではなしてるのみると
すごくまわりをきにするひとなんだって
そうおもっていました。
整形したあとに
「前もかわいかったのに」
といわれたそうです。
わたしはひどいなとおもいました。
いった人はよかれとおもっているかもですが
彼女はそれを選ばなかったのだからいう必要はない。
なぜそれがわからないのでしょう?
おなじようなことばでも
「かわいくなったね。元がいいからだよ」
なぜいまを否定することばを人は簡単に口にするのでしょうか。
レベルがちがうのですが
わたしも以前、レッスンに出ている方に
「ヨガウェアをきてるのみたい!」
といわれました。
わたしは女性のラインがみえるのがいやなので
(露出もいやで年中、長袖です)
あえてきていませんでした。
資格の試験のときでさえも
落ちるの覚悟できませんでした。
(考慮してもらいましたが……)
そんな事情しらなくていいです。
ただきてないもんをすすめてくる精神?
なんなんでしょね。
その方はよかれとおもっていったとおもいます。
「先生は自信がなくてヨガウェアをきることができないのかもしれない」
いやいや。
失礼でしょ。笑
「にあうっていったらよろこぶかもしれない」
いや、いまきてるのをほめろよ。笑
わたしのなかで、これで嫌われること
お客さん減ってもいいやとおもって
みなさんの前でいいました。
「これでいいとおもってくれる人だけあつまってくれればいい」
簡単にいうとですが……
その方は次からこなくなってしまいました。
わたしは後悔も反省もしていません。
だってべつにお客さん減ってないし
わたしがどんなふくきてようが
みえずらい部分は説明でカバーするし
それがいやならこなくていい、ただそれだけなんです。
わたしも選ばれてるんだから
わたしだって選ぶぞってはなし。
でもめるさんの場合、整形したわけで
もう戻れないわけです。
しかもそれいってだれも得しないじゃないですが。
わたしの話もそうですが……
それをいう人が真面目に疑問です。
自分の話、永遠にしてる方が
めんどくさいけどまだ理解できる。笑
あとこういう話の最後に
必ずつけくわえますが
「死」=素敵なドラマの最終回
ではないのです。
みんななくなったあとに
「かわいそう」って擁護したり
あたたかいことばかけはじめたり
なにか行動にうつす人いますが
「いきてるうちにしてやれよ」ってすごくおもう。
しんだらなんもわからないんだから!
しんだらその人の価値がわかるとか
しぬことで自己表現とか
そういう世の中、絶対ないよ。
わたしはそこにまけないために
いまいきてる。
自殺未遂、しぬしぬ詐欺
メンヘラかまってちゃんかもしれない。
でももがきながらいきている。
きっとわたしがしんだら
お母さんもらくだし
お父さんもさみしくないとおもうし
地球にとってもやさしいとおもう。笑
だけど、やっぱり
しぬことで自己表現はしたくないんだよね。
わたしは望月めるさんはいまでもあこがれているし
でも問題はべつだとおもってる。
しんだからおわりはちがうとおもう。
わたしもいろいろ害児?老害?
なってるけど
人のためになれるようすこしでもがんばります。
最後までどうもありがとうございました![]()
