母が父の日記帳を引っ張り出してきた。
学生の頃、仕事始めた頃、
病弱で何度も手術していた闘病日記。

仕事一筋だったので途中で途切れ、
孫が生まれてから再び書き出した日記、
そして最近の闘病日記…
癌の手術前まで…

父とはベタベタした覚えも、
仲良く話した覚えもあまりないけれど、
性格が似ていた。
意外と筆まめなところ、
人混みが苦手なところ、
頑固なのにくよくよ悩みがちなところ、
(私はそんなに頑固じゃないけど…?)
あまり多くを語らないけど、いればなんか
安心するような…

それに比べると母は勝気で口も悪く、
何か言おうものなら10倍にもなって返してくるので、私は逆らわなかった。
父は言い返すが、母はいつも食ってかかっていた。
そんな母に、私は幼少の頃から、
男を立てなきゃダメょとか、
お父さんにごめんなさいして、とか言っていた。
母は人種が違うんじゃないかくらい
義理人情、そして金、金言う人だった。

母とは一生分かり合えないような気がしていた。
でも私は何度も歩み寄って、下手(したて)に
出てみたり、感謝を持って接したりした。
母は我が強く、そんな試みも逆効果だった。

父が癌になって少し弱気になった母を、
今まで以上に、支えるよう接していた。
強すぎた母も1人残され多少おとなしくなった。
父の日記にも、母の態度にムカついてヤケ酒だ!おかげで肝臓がやられる!と書いてあった。

なんだか性格が似ていて、
いるのが当たり前と思っていた人が
急に行ってしまうと、
ぽっかりと穴が空いたような、
そこから時間が止まったようで、
正直、未だ信じられない。

最期に一言何か言って欲しかったな。。
料理人とは、、でも
一番楽しかったことは、、とか
実はな、、とか、何でもいいから
父の口から一言聞きたかった…

父の戒名は
慈雲祺厨居士
慈悲深く、空にゆうゆうと浮かぶ雲が好きで、
祺は名前の一文字、
暑い日も厨房に立ち黙々と仕事をしていた父。
ありがとうの一言も言えなかった。
どうか天国に感謝の思いが届きますように。