なんかつくづく、何事にも‘時運‘というものが大切だと思う。
司馬遼太郎の本の中に、頻繁に出てくる言葉である。
何故こんなことを、思い出したかというと、元宮崎県知事 東国原氏の最近の動向を
見たからである。
人気絶頂の中、宮崎県知事の選挙出馬を辞退したのは、彼の中には、中央進出への野望が
あったからだろう。
そりゃそうだろう・・・宮崎県と東京都、どっちの知事がいい?と聞かれたら
当然、東京都と言うだろう。
彼の構想の中では、この人気絶頂のまま、都知事選へ出馬し、当選することは楽勝だと
思っていただろうが、震災が起きて、石原氏が再出馬することになった。
世の中は、震災のことばかりで、都知事選にはまったく興味を示さなかった。
結果は、周知のことだが石原氏の圧勝だった。
司馬氏の本の中に出てくる時運という言葉・・・
何かものごとが生まれるときのタイミングの大切さを記している。
例えば、薩長同盟が誕生するタイミング、これが1年早くても、1年遅くても
大儀を成すことはなかった。
機が熟したこのタイミングだから、成立した。
東国原氏も、時運を見極める目を持っていなかったのだろうか?
まさか、あのタイミングで、未曾有の大災害が日本を襲うなんて、想像もしていなかっただろうが、
運がなかったのだろう。
いまとなれば、宮崎県知事に留まっていた方がよかったのではないか?
結局いまは、ただの人・・・中途半端なコメンテーターみたいなことをやっていた。
渋谷の風俗店で未成年を相手したことから謹慎処分となり、芸能界では終わった感があったが、
宮崎県知事に当選し、再び人気絶頂の時の人となった。
いずれ国会議員やどこかの知事選に出馬するだろうが、なんとなく影が薄くなっているような気がする。
見極めを誤ると、人の道といのは、変な方向へ行ってしまうものだな・・・と痛いほど思い知らされる。
そう考えると、自分はまだ運が良いほうである。