尾崎豊 | コーキのテキトーク

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昨日、テレビ東京で放送された尾崎豊20thメモリアル「風の少年」を見た。



尾崎豊という男を描くには、あまりに放送時間の短く、中途半端なものだった。



主演を演じた成宮寛貴も、まあまあ良い芝居していたんだが、大人になった尾崎が、



何故破滅的な生き方へ進んでいったのか??



そこの部分をもっと描いて欲しかった。




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■ 尾崎豊(享年26)



僕は、尾崎豊と同世代である。




1985年上京したとき、既に彼は、「十代のカリスマ」になっていた。




田舎者の自分は、彼の存在さえ知らなかった。




バブルの入口といわれる1985年、その年あたりから尾崎の人気は急上昇していく。




同級生たちの間では、尾崎の歌や存在についてよく語られていた。




僕はどちらかというと、まったく関心が無かった。




どこか尾崎の歌う熱っぽい歌い方が気に入らなかった。




そして運命の1992年を迎える。




この年僕は、離婚話からはじまる。




妻との離婚協議の中、もがき苦しみ、友人宅を泊まり歩く生活をしていた。




僕の生活も荒みきっていた。




冷め切った夫婦生活を終えようとしていたとき、尾崎の訃報が流れた。




1992年4月25日早朝・・・




僕は横浜の友人の家にいて、その訃報を耳にするが、それほど関心も無かった。




友人は、熱狂的なファンだったので、大変落ち込んでいた。




その後、護国寺で葬儀が営まれたが、行かなかった。




26歳の死・・・




僕もそのとき26歳・・・同じ年のカリスマが亡くなって、少しだけ複雑な気持ちになった。




いま思えば、26歳なんて、まだまだ人生を知らないガキである。





それでも尾崎は、短い人生を真っ直ぐに生きた。





尾崎が亡くなってから一年後の1993年春、結局僕は一度目の離婚をした。





その頃、「I LOVE YOU」が流行っていたと思う。







その頃の僕は、初めての離婚を経験したばかりで、耳の痛い歌でもあった。







亡くなったあとから、少しずつ尾崎に興味を持つようになり、





彼の歌や生き様に、シンパシーを感じるようになった。





どこまでもまっすぐな歌詞。







僕がよく思うのは、尾崎がもしいまの時代に生きていたら、どんな40代になり、どんな生き方を





していただろうか?





大人になれば自由になれる・・・そんな風に思っていたか分からないが、もしそうだとして、





尾崎は大人になったとき、皮肉にも大人の自分を一番恐れたのかもしれない。





天国にいる尾崎豊に言ってあげたい、40代も悪くないよ・・・と。




年齢を重ねていくと、人の好みというのは変化していくものだ。




矢沢永吉や尾崎豊を好きになったのは、40歳を越えてからだし、




不思議なものだ。