東京で生活した二十年間を綴った「東京エスケープ」
11月4日(木)ホテルニューオークラにて、九州場所の激励会が行われた。
入場券さえ購入すれば一般の方でも来場できるということで、画期的な試みである。
豪華な顔ぶれが勢ぞろい、幕内以上の力士は勢ぞろいしたようだ。
とにかく大盛況で、2000人以上の来場者が訪れた。
そんな中、僕がもっとも会いたかった人にお会いできた。
それは・・・
元祖イケメン力士こと寺尾関、現役時代は、多くの女性ファンからの支持を受け、
土俵に上がると、常に黄色い声援が沸き起こった。
今は、現役を去り、錣山親方として後進の育成に励まれている。
実は、僕と親方は、10年ぶりの再会。
いまから10年前の2000年のまさに、九州場所を目前にした今頃、僕は、仕事の関係で
当時・寺尾関とお会いした。
テレビ東京の番組のディレクターを務めていた僕は、スポーツ選手の家族にスポットを当て、
彼らのプライベート取材を行っていた。
10月の終わりに、寺尾関の自宅へ取材に行った。
これから九州場所が始まるというタイミングで、奥様は、どんな手料理を作るのかが、
取材の目的であった。
体を作り上げるために、牛肉や鶏肉などバランスの行き届いたメニューだった。
その頃の、寺尾関は、37歳くらいで、引退間近とスポーツ誌の一面を飾ることも
珍しくなかった。
そんなタイミングでの出会いであった。
僕の中の皮算用は、もしかしたら引退の貴重な瞬間を撮れるかも知れないなんていう
スケベ根性もあったかもしれない。
翌日、井筒部屋の朝稽古へ撮影に行った。
自宅から稽古場へ、段々と、寺尾関という男の魅力を感じてきていた。
稽古場で見た彼の姿は、引退なんていう言葉をまったく感じられないくらい光り輝いていた。
なんだろう?その一挙手一投足が他の力士と違っていた。
男惚れするとうは、こいうことだろう・・・
やがて、九州場所が始まり、僕は東京錦糸町のマンションで子供と一緒に応援する奥様の姿を
撮影に行った。
テレビの前に、現れた奥様は、白のイヤリングに白のネックレスを身に付けていた。
「どうして白なんですか?」と訪ねたら、
「白は、勝星を願って」とおっしゃった。
力士の妻というのは、ここまで考えるのか、すごいと思った。
僕には、このタイミングでどうしても聞きたいことがあった。
「引退引退と騒がれていますが、奥様としてはどう思ってますか?」とストレートに
質問をぶつけた。
そして出てきた言葉は・・・
「もうこれ以上、続けられない、もう本当に駄目だと思えるまで、心おきなく続けてほしい。
どんな事があっても、現役を退く妨げだけは、絶対したくない」
この言葉は、当然番組の中に使用したが、多くのスタッフが感動した言葉である。
それから近くの神社へ子供を連れてお参りに行き、その甲斐あって九州場所は、
勝ち越した。
実は奥様の実家は大分県、九州場所が千秋楽を迎える頃、奥様はご実家へ。
そして、場所を終えた寺尾関を実家で待つ。
奥様の実家は、旅館なので、関係者が集まり祝賀会が開かれる。
その料理の豪華なこと、カニや鮮魚、活き造りなどとにかく凄かった。
そして、主役が戦いを終え帰ってきた。
宴が始まり、その模様を撮影していたが、僕は完全に飲まされて、仕事どころではなくなった。
この出会いには、もうひとつ驚きの出会いがあった。
実は奥様と僕は同郷で、奥様のお父様は、僕の中学時代の恩師であることが、この取材で
判明した。
僕は先生と、20年ぶりの再会を果たし、この夜遅くまで酒を飲んだ。
そんな忘れられない一夜となった。
それから、寺尾関一家とは、食事に行ったり、お酒を飲んだりといったお付き合いをさせていただいた。
この時取材した番組は、2001年1月に放送したが、高視聴率だった。
僕にとっても名を上げる意味のある番組となった。
その後、寺尾関は、38歳で現役を退き、親方の道へと進んでいった。
僕がお付き合いさせてもらったのは、現役最後の一番輝いていた時代だったかもしれない。
それから会うことがなかったが、またお会いしたと思っていたので、願いが叶い嬉しかった。
男っぷりの良い親方だから、弟子たちもついてきてくれるだろう・・・
親方としての活躍を期待したい。





