結婚!離婚!また同棲! | コーキのテキトーク

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「東京エスケープ」の最初の山場


今回は・・・

1990年から2000年までの10年間のことを書こうと思う。


テーマを簡単に言うと・・・


バブル経済崩壊後の日本と私生活の繁栄及び崩壊!


なんか物凄いタイトル付けちゃったけど・・・


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■バブルの申し子 青田典子


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■ ジュリアナ東京


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■ 荒木師匠だと思われる女性(右)


狂乱の時代!


1990年は好景気に浮かれ、世の中全員金持ちになった気分だった。


いま思えば、こんな時代があったことが信じられない。



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■佃島にある超高層マンション

 タワーマンションブームの火付け役となった

 確か‘90年頃に1棟目が完成したはず



その頃東京にいた自分は、バブリーな光景を沢山見た。


しかしこの年は、すでにバブル経済の崩壊が始まっていた!


そんなことも知らず、世は前代未聞の好景気に浮かれていた。


そして、自分も・・・


この年自分は、ある女性と結婚した!


周囲からは、バブル婚とも言われたパンチ!


お互い25歳だった。


上京して、わずか5年・・・


部屋を見つけ、仕事を見つけ、そして、人生の伴侶を見つけた!


凝縮された5年間である。


初めて味わう、女性との共同生活。


結婚ってこんなに良いもんだと心から思った。


しかし、結婚は長続きしなかった!


結婚からわずか3年後の1993年、僕らは離婚した。


あっけない幕切れだった。


人生で初めて味わう辛い別れだった。


結婚を決意したのも早ければ、離婚を決意したのも早かった。


バブル婚と言われたが、いみじくも当たってた。


もう結婚はしないと固く誓った!


1993年


離婚した年の春から、日本テレビの情報系の番組に就いた。


その頃の自分は、心に何かぽっかり穴が開いたような感じだったと思う。



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■ ‘93年に完成したレインボーブリッジ

  

 バブル期に工事が始まり、バブル崩壊後に完成したレインボーブリッジ。


冷え込んだ日本経済に、久々バブルな話題だった。



それからは、番組製作を淡々とこなした。


女性とのいろんな出会いがあったが、どれひとつ本気になれなかった。


「俺って病気なのかな?」


「人を愛するエネルギーには、限界があって、もう俺は全部使い切った」


って本気で思っていた!


特定の女性と付き合うことができない期間が約4年続いた。


離婚から立ち直るのは、困難な道のりだった。


世の中では、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件など、


血なまぐさい事件や天災が起きていた。


離婚から4年経過した‘97年の暮れ、ある女性と忘年会で出会う。


自分より9歳年下の女性で、熊本の大学を卒業して上京したばかりだった。

(何故か九州の女性と縁がある)


年が明けた‘98年、僕らは一緒に暮らし始めた。


離婚以来続いた人を本気で愛せない悩みは、いっぺんに吹っ飛んだ。


「こんなに単純なことだった」


4年間悩んだことが、あっけなく解決した。



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■ ‘98年大ヒットを飛ばしまくった宇多田ヒカル


この年は、とにかく宇多田ヒカルの年だった。


そして翌年・・・


1999年



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■ 1973年に販売され大ヒットした

   「ノストラダムスの大予言」


「1999年7の付く日に人類が滅亡する」


オウム真理教のメンバーは、この本を盲信していたらしい。


アルマゲドン(終末観)的な思想は、この本が原点である。


しかし実際は、何も無かった!

この年、僕らは彼女の実家へ挨拶に行った。


彼女のお父さんからは、結婚の許しを得ていた。


結婚は秒読みだった。


しかし、この年の暮れ、ひょんなことから彼女の気持ちは急激に


冷え込んでいく。


原因は、はっきり憶えていない。


そして、2000年


何とか関係を修復しようと頑張ったが、結局僕らは別れた。


僕は着の身着のままで家を出た。


スポーツバッグに、服を詰めれるだけ詰めて家を飛び出した。


家から持って出たのは、バッグとパソコンだけ!


ここから新宿での生活が始まる。


2000年春・・・



その後、ホームレスディレクターの生活を経て、2回目の結婚を果たす。


しかし


この頃の自分には、知る由も無かった。